昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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一位でなきゃダメなんです!

悪夢だった民主党政権

安倍首相がそんな当たり前のことを言っただけで、旧民主党の残党どもはギャーギャー喚く。

そんな時必ずしゃしゃり出てくるのが、自分の二重国籍疑惑すらまともに説明できなかった村田蓮舫、通称R4だ。

もしも「お前が言うな」大賞があれば、おそらくは毎年受賞者の栄誉に預かるトップ候補者だ。

そのR4のアホさ加減を満天下に知らしめた事件が、民主党政権下で予算割り振りの事業仕分けだった。

ここでR4が放った、「何故一番でなければいけないのか、二番ではだめなのか」で、多くの日本人は、民主党が世間知らずの幼稚な政党と知ったはずだ。

 

スポーツの世界でも、実業の世界でも、誰もがトップを目指して努力している。

二番でもいいと思っている人間なんていないし、仮にそんな人間がいたとしたら、まるで魅力がないのだから誰からも相手にされない。

さすがに民主党の中でも、「これはマズい」と思われたようだ。

当時の民主党政権官房長官だった枝野幸男は、「あれはR4さんの誘導尋問だった」と言い訳していたが、時すでに手遅れ。

綸言汗のごとし!

R4は皇帝ほどの権威も実力もないバカ女だが、どんな末端政治家でも言葉は命。

一旦口にした言葉は取消すことも訂正もできないのだから、R4が政治家である限り、生涯あの発言を揶揄され続けることになる。

 

ところが最近、世の中にはR4と同質の発言が多いことに気が付いた。

テレビ番組に出演したアスリートを、「○○大会のメダリスト」と紹介する。

金メダルだけでなく、銀、銅メダルも一緒くたにしてメダリストとまとめられている。

恐らくは、ゲストアスリートをメダリストと持ち上げることで、番組の権威付けを高めようとの魂胆なのだろう。

また、金メダリストに限定すると、コメンテータの絶対数が不足してしまう。

 

確かにアスリートは、自分がメダリストか否かで競技引退後の仕事の需要が全く違う。

また、競技団体にとっても、競技大会でどれほどメダリストを輩出したかで、その後の普及に影響してくる。

柔道に至っては、システム的に銅メダリストは二人できてしまう。

普通なら三位決定戦があるはずだが、連盟の意向もあるのだろう。

また、コーチや解説者がメダリストだと、迫が違ってくる。

よってメダルの色まであれこれ言わず、単純にメダリストが多くいると宣伝する方が、競技普及に役立つとの思惑があるに違いない。

メダリストを量産することは、関係者全員にとってウィンウィン関係になる。

 

しかし僕は、トップ以外は無価値とまでは言わないが、銀や銅メダルを礼賛する風潮にはいささか違和感を持つ。

プロボクシングの世界では、世界チャンピオン以外は単なる世界ランカーでしかない。

野球だってサッカーだって、優勝カップや優勝旗には価値があるが、準優勝カップは小振りだし、飾っていても面映ゆさがある。

大相撲には優勝賜杯はあるが、準優勝なんて表彰もされない。

勿論、世界ランカーになるのは大変なコトで、準優勝だって、それだけで皆から尊敬の念を持たれる価値はある。

しかしやっている当事者は、絶対に世界ランカーや準優勝で満足するものではない。

そこまでいけば、必ずトップや世界チャンピオンを目指すし、そのために筆舌に尽くしがたいような努力を重ねている。

 

二位でも充分なんて、負け犬発想だ。

満足する結果は、たった一人しか味わえないのだからこそ価値があるし、多くの挑戦者がそれを目指すから進歩もある。

金メダルとその他のメダルでは、色だけでなく内容にも大きな差がある。

メダリストと一括して表現するのではなく、やはり金メダリスト、銀メダリスト、銅メダリストと明示するべきだ。