4月30日のテレビは、「今日は平成最後」で盛り上がっていて、多くの特集番組が組まれていた。
巨人が負けたので、安心して録画しておいた「プロ野球ニュース」ですら、「平成の終わりまであと何分」とか騒ぎ、最後はカウントダウンまでやっていた。
何でも、平成最後のホームランは、広島のバティスタ選手が打ったらしい。
せっかくだったら、日本人選手が打てばよかっただろうに、外国人のバティスタでは有難みが伝わらないだろう。
当たり前のように4月30日を「平成最後の日」と称していたが、実はこれは極めて珍しいことだ。
30年前は昭和天皇が病気療養中で、世間は暗いムードに包まれていた。
こんな時に、「昭和最後の日」なんて言おうものなら、途端に大問題になっただろう。
昭和天皇が崩御しない限り昭和が続くのだから、「昭和最後の日」なんて誰にも分からない。
今回は、平成天皇の生前退位と譲位が決まっていたので、全ての国民が予め、平成から新しい令和へ変わる心の準備ができていたものだ。
それにしても、年号が変わることに、日本中が浮かれているように見えるのはどうしたことだろう。
平成時代の日本は、戦争こそなかったが、結構多くの災害に見舞われた。
景気は、平成の初っ端は、バブル崩壊の後遺症に悩んでいた。
アベノミックスの影響で雇用は拡大したが、それは平成も残り三分の一の頃からで、途中には「悪夢の政権交代」もあった。
総じて、「良かった、良かった」と、喜び一色の時代ではなかったはずだ。
しかし、テレビインタビューに答える日本人の多くは、令和の先行きに期待感を持っている。
これは、新元号「令和」が、好感を持って迎えられたことが大きい。
国際的には、膨張する中国への警戒や、もはや国家としての機能すら疑われる韓国との関係など、簡単には解決できない大難問が存在する。
しかし我が日本国では、天皇が変わるだけで、これだけ国を挙げて祝賀モードに包まれる。
世界的には、イギリスの王室と国民の関係が似ているのかもしれないが、日本の皇室は歴史の長さが違う。
天皇陛下が存在する有難さは、外国の賓客はこぞって天皇陛下への拝謁を希望することからも分かる。
あの中国共産党、習近平ですら、当時の民主党、小沢一郎幹事長が、ルールを無視してまで天皇陛下との面談を強行した。
中国は、政権交代が起きるたびに、前政権の関係者は全て抹殺するのが習わしなので、万世一系の象徴などできっこない。
残酷だが、これが弱肉強食の世界の常識で、敵対勢力を根絶やしにしないと、いつ自分たちの寝首を掻かれるのか不安で仕方がないのだ。