僕は、連続ドラマは見ない。
性格がセッカチで、次の一週間を待つのが嫌だからだ。
ただWOWOWで放送中の「三国志、軍師連盟」だけは見てきた。
そもそもは昨年10月、「見忘れた人のために七話一挙放送」を、七話完結と勘違いしてみたのがきっかけ。
実は86話もあると分かったが、行きがかり上、全部を録画して見続けた。
日本人には諸葛亮孔明の方が有名だが、この物語の主人公はそのライバル司馬懿仲達。
「死せる孔明生ける仲達を走らす」の故事にあるように、善玉の諸葛亮孔明に比べて、どちらかと言えば司馬懿仲達は悪役。
しかし歴史的評価では、志し半ばで死んでしまった諸葛亮よりも、結果として一国の盟主となった司馬懿仲達の方が上との見方もある。
テレビドラマは、いよいよそのクライマックスで、用意周到にクーデターを準備していた司馬懿が、政敵、曹爽を打倒するシーンまで放送された。
実はこの話、耄碌したふりをした司馬懿の芝居を見抜けず、油断した曹爽が都を留守にした時に決起し、司馬懿一族が一気に首都洛陽を占拠したものだ。
その時の司馬懿派の手勢はわずかに三千なので、曹爽が正面から戦いを挑めば司馬懿に勝ち目はない。
そこで策を弄し、曹爽の妻や側近に「曹爽が降伏すれば絶対に殺さない」と約束して、曹爽の戦意を削いだ。
すっかりこの話を信用して降伏した曹爽だが、司馬懿は前言を翻し、「曹爽の一族郎党を全て殺害」してしまう。
その中には、わずか三歳の曹爽の息子まで入っていた。
さすがに司馬懿側にも良識派がいて、「そこまでやると、後世で悪評を被る」と反対するが、司馬懿は「逆に我々が負けていたら、果たして許される者がいたか」と反論し、全員処刑を強行した。
後世、司馬懿仲達の人気がもう一つなのは、この時の狡猾さと残虐さに原因がある。
とまぁ、実際の歴史もこんなところのようだ。
しかし中国の場合、政権が変わると、前支配者は一族郎党が処刑されるのが一般的だ。
司馬懿仲達も言っていたが、「将来の災いのタネは徹底的に取り除く」のが普通で、当然、幼子などと言っても容赦しない。
むしろ幼子を生かしてしまうと、将来必ず反旗を翻すと信じ込まれている。
だから、後顧の憂いを無くすためには、三族皆殺しとも九族皆殺しともいわれる、敵対者根絶やしが当たり前なのだ。
日本でもこのような例がないわけではないが、そのスケールがまるで違う。
平清盛の継母、池禅尼が、幼気な源頼朝を殺さなかったばかりに平家は滅びるが、日本人が池禅尼を愚か者と思うことはない。
むしろ殺伐とした戦乱の時代に、人間臭さを感じさせるホッとするエピソードとして扱われる。
そんな日本人は、今やすっかり平和ボケしてしまい、中国がこんな残酷な歴史を刻んできたことに気が付かない。
しかもそれは、清の時代まで、制度として二千年間も続いてきたというのだ。
清と言えば、日本が日清戦争を戦った相手。
という事は、日本の明治時代まで、中国人は敵対者皆殺しカルチャーで生きてきたのだから、最早、中国人のDNAと化しているに違いない。
日本人は、誠意をもって話し合えばきっと中国人は分かってくれると思い込んでいる。
しかし、彼ら中国人には、敵か味方かしかない。
敵を見做されれば、すなわち殲滅されるのだ。
たかがテレビドラマだが、この「三国志 軍師同盟」は、中国が大枚60憶円をはたいて製作したものだ。
そこで中国人のメンタリティを、余すところなく描いているのが何とも皮肉だ。
こんな中国人と、国際的には付き合っていかないといけない。
努々、油断したり、信用してはいけない。
中国の指導者たちは、国民から絶大な信望がある日本の天皇に対して、全く複雑な思いがあるらしい。
権力闘争に明け暮れ、勝ち抜いた結果トップの地位に上り詰めても、いつ何時、政敵に寝首をかかれるかもしれない。
いくら頂点を極めても、常にそんな不安感から逃れられない中国人には、二千年間も続いた日本の皇統は信じられないのだろう。
しかし、敵対する一族を皆殺しにしてきた国家に、「万世一系」の指導者などできるわけがない。
日本の天皇のように存在は、中国では絶対にありえないのだ。