昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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ラーメン考

昔からラーメンが好きだった。

 

現役の頃、汐留の日本テレビ傍のビルに通っていた。

日本テレビのラーメンコンテストで優勝したオトコが、テレビ局のビルで汐留ラーメンをオープンした頃だ。

テレビの効果が物凄く連日長蛇の列ができて、待ち時間は二時間ほど。

すぐ傍で勤務しているのに、昼休みに食べることができない。

当時は、「君は汐留ラーメンを食べたか?」が、ラーメン愛好家の合言葉だった。

ある夜、残業が終わって汐留ラーメンの前を通りかかると、昼なら三重の列に渦巻くようにできている待ち人が、わずか十人程度。

ここぞと勢い込んで並び、初めて憧れの汐留ラーメンを食するチャンスが巡ってきた。

喜び勇んで一口、また一口。

ここで「ウ・マ・イ!」と思うはずが、どうにもピンと来ない。

当時にしては魚臭く、スッカリ食欲が萎えてしまった。

それでもその後、数回は夜の部で汐留ラーメンにチャレンジしたが、結果的には最後まで気に入らなかった。

そうこうしているうちに、あれほど並んでいた客足も一人、二人と減っていき、閉店間際には、書き入れ時のはずの昼でも、並ばずに食べることができるまでに変わってしまった。

そんな変遷ぶりをブログに書いたら、「汐留ラーメン店主の親戚」と称するオトコからクレームを受けた。

彼は、閉店は店舗の広さを巡って日本テレビとの話し合いがつかなかったからで、その頃でも近所のラーメン店と同じ程度の集客はあったと力説していた。

「親戚」と称していたが、最後は謝罪要求までしてきたところを見ると、汐留ラーメン店主そのものだったのかもしれない。

僕は、近所のラーメン屋との比較ではなく、汐留ラーメンのファンが激減したと言いたかったのだが、うまく伝わらなかったようだ。

スッカリ昔話になったが、今でも印象に残っているやり取りだった。

 

事程左様に、ラーメン店の栄枯盛衰は激しい。

一時期大人気を博しても、十年以上持ち堪えるラーメン店は少ない。

数多ある業界の中でも、ラーメンが一番競争も新陳代謝も激しいのではないだろうか。

汐留ラーメンもそうだし、一時期日本中を席巻した一風堂も、桂花ラーメンも、すっかり影を潜めた。

余りに客が集まって環七通りが大渋滞を起こし、社会問題にまでなった「なんでんかんでん」も消えた。

 

そして最近の流行は、とにかく「濃い味付け」のラーメンだ。

いかにも塩分と脂分が多く、体に悪そうなラーメンほど人気が出る。

確かに、旨い食べ物は不健康なのが相場だが、更に「脂多め、味濃いめ」などと追加するのだから、成人病予備軍を育成強化しているのも同然だ。

僕の住む地域でも、そんな傾向が顕著だ。

 

ところがこの「濃い味付け」のラーメンは、何度か食べていると飽きが来る。

当初は「ウマイ」と思っても、「濃い味付け」のラーメンを食べ続けると、そのうちに「昔はもっとアッサリしていたな」とノスタルジアに浸ってしまう。

一時期通った家系ラーメンも、ラーメン二郎も、例外ではない。

これは僕だけではないようだ。

最近行きつけのラーメン屋は、まるで三十年前にタイムスリップしたような、アッサリ系ラーメンが売りだ。

そこでいつも注文するのは、細麺、見事に透き通ったスープ、トッピングは海苔一枚、味卵半分、シナ竹と青味野菜が少々だけの、シンプルな「ラーメン」。

今時400円の超安値、塩ラーメンもファンが多い。

この店は御夫婦二人で切り盛りしていて、四種類のラーメン以外は、メニューにトッピングもないし、もちろん餃子などもない。

 

そこでたまたま隣に来たオヤジ二人組が、ラーメン蘊蓄を語り始めた。

普通はこの手の話は、ほとんどが聞きかじりの浅薄な知識を披露しているにすぎないのだが、片割れの話しに内心激しく同意した。

彼は友人に、「この近所にも人気ラーメン店はいっぱいあるが、この店のラーメンは、いくら食べても飽きないんだよ。僕はここでいつもラーメンだけを注文するんだ」と話していた。

 

我が意を得たり!

同好の士がいた。

ラーメンを長く楽しむためには、「濃い味付け」にサヨウナラして、家庭的な味の店に通う方が良い。