僕は、自分の今までの人生について、さほど後悔はない。
むしろ、世間一般の基準から見れば、恵まれ過ぎていた方だろう。
しかし一点、これだけはやっておくべきだったと、悔やんでいることがある。
それは、ひげを蓄えることだ。
そんな簡単なこと、年老いた今からでも遅くはないと思う人が多いだろう。
しかしこの歳になって分かったが、老人のひげが似合う人は少ない。
そして当たり前だが、平凡な容貌の僕は、全くひげが似合わない。
その一番の理由は、全部白ひげになるからだ。
リタイア後に、何度かひげを伸ばしてみた。
今度こそと期待しながら鏡を見ると、そこにはまるで冴えない爺さんがいる。
家人からは、容赦ない罵倒に近い「似合わない!」との言葉を浴びせられる。
その都度、絶望感に打ちのめされて、ひげをそることとなっている。
白は膨張色で、顔の輪郭がぼけてしまう。
すると、ただでさえだらしない顔なのに、締まりがまるで消えてしまう。
キリリとした緊張感が欠片も感じられない老人の顔など、見る気もなくなってしまう。
今まで見てきた芸能人でも、白いひげが似合ったのは、わずかに仲代達也だけだ。
彼は、歳をとっても眼光が鋭いので、パット見、目の方に注意が集中する。
その所為で、たとえ顔の輪郭がボケていても、気にならないのだろう。
藤田まことは、ひげを伸ばした役柄の時は、あごひげでも黒く染めていた。
ましてや一般人の場合、やはりひげは黒々としていなければならない。
アラブに駐在する日本人は、現地の風習に従ってひげを蓄える。
彫りの深いアラブ人には黒ひげが似合うが、薄っぺらい顔の日本人で、見栄えの良い人は少ない。
それでも現地では、黒々としたひげを蓄えていると、一人前のオトコとして扱ってくれて、ビジネスもうまくいくらしい。
僕は生涯を通じて、そのような黒いひげを蓄えたことがない。
若かりし頃なら、さぞやひげが似合っただろうと思うと、残念でならない。
そんなわけで、ひげをはやさなかった後悔の念を持ちながら、残りの人生を過ごすことになる。