昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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政治的立場の違いは議論では乗り越えられない

先日、庭仕事をしていたら、40歳代のオンナがフェンス越しに声をかけてきた。

 曰く

    私、山本太郎の応援ボランティアをやっています。

    少しいお話させていただいて、よろしいでしょうか?

言葉使いは慇懃で、なりはごく普通の主婦みたいだが、見るからにサヨク感満載だ。

 

僕は、この手の主婦然としたサヨクオンナは、生理的に絶対に受け付けない。

即答で、「興味ありません」と拒絶して追い払った。

 

後に、大いに反省したのは、自分の取った態度にではない。

むしろ、興味ある振りをしてヤツを引き留めておけば、他の人を説得(ヤツらの言葉ではオルグ)をする時間を無くせことだ。

 

こんなオンナがあちこちを徘徊するのは、山本太郎が改選期を迎えたからだろう。

しかも僕の住む田舎にまで働きかけてきたのは、情況が予断を許さないからだろう。

そもそも山本太郎なんて、前回立候補した当初は、まるで泡沫候補扱いだった。

それが脱原発を訴えて、2013年に東京都選挙区で当選した。

その後の過激なサヨク活動は、あまねく知れ渡っているので割愛するが、その政治姿勢は僕とは全く相いれない。

 

そもそも脱原発は理想だが、現実社会では停電になるとすべての機能が停止する。

僕は一度、近所の交通事故の影響でほぼ半日間の停電を経験したが、電気がなければ何一つできないことを実感した。

テレビやラジオは我慢できても、冷蔵庫が長時間機能しないと、食べ物が腐る。

今や、トイレも風呂もふんだんに電気を使っているので、停電になった途端、一気に不自由になってしまう。

よくよく考えれば、今ではスマホがなくては生活できない人種が増えているが、そのスマホもまた充電できなければ宝の持ち腐れになる。

 

生活基盤の全部に影響を及ぼす電力の安定は、原発抜きではありえない。

菅直人孫正義の肝いりでスタートした太陽光発電は、何よりもコストが高いし、安定供給の補償がない。

そんな不安定な電力供給減に頼るのは、全く非現実的なお花畑の理想論だ。

 

原発事故の恐ろしさを訴えるのなら、最初にやるべきことは、自ら積極的に、電気を使わない生活に戻すことだ。

日常は、腹いっぱい電気を使った便利な生活を満喫していながら、その便利さを担保している電力供給の安定化に無関心なのは、詭弁であり偽善だ。

ましてや、原発阻止を訴えながら、地球温暖化を防げだの、二酸化炭素排出量を減らせだの、矛盾したことを平気で主張するとは、面の皮が厚いのもほどがある。

 

しかし、山本太郎やその支持者と、どれだけ長く議論しても、決して見解が一致することはない。

何故なら、各々の信念や、そこに至る人生経験、そして好みやDNAそのものまでが、全く違うからだ。

 

世の中には、決して多数派ではないが、今もって共産主義を信じている人たちがいる。

日本には、未だに日本共産党の言う政治組織が存在し、一定程度の議員まで当選させている。

僕は、世界中で破綻してしまった政治思想を、未だに金科玉条のように押し抱く連中の気が知れない。

しかし、一方の共産主義信奉者には、安倍政権を支持する僕のような人間は、時代遅れのエイリアンにしか見えない。

 

共産主義は、いずれは消滅する思想だが、宗教となると、ことはもっと複雑になる。

西側世界の多くは、テロを厭わないISを悪とみるが、イスラム教徒に限るとそうとばかりは言えない。

しかもイスラム教徒は、加速度的に世界中で信者が増えている。

宗教間の争いは、世界に大混乱をもたらすが、これと言った有効な処方箋はない。

 

立場の違いは、議論では解決できないのだ。

 

だから我々は、多数決で物事を進める民主主義国家に住んでいることを、無上の幸福と思わなければならない。

しかも日本では、言論の自由が完全に保証されている。

僕の嫌いなサヨク界隈の連中なんか、連日、言いたい放題に無責任意見をばらまいているが、のちにそれが明らかに間違いだったと分かってもペナルティ一つ受けない。

そんな民主主義国家、日本を誇りに思うと同時に、そんな日本が共産主義者サヨクに乗っ取られないように、そんな勢力に加担している政治家は選挙で、絶対に落選させないといけない。

 

返す返すも、山本太郎の応援オンナを長時間引き留めなかった、己の未熟さが悔やまれてならない。