海外に行くと、いつも日本って素晴らしい国だと実感する。
今回、ヨーロッパでオーストリア、ポルトガル、スペインそしてイギリスと旅行した。
そしてその全ての国で、日本ではまずお目にかからない光景を、嫌と言うほど見せられた。
それは、物乞いの存在だ。
外国では、どんな街にも物乞いがいる。
駅や観光地で、行き交う人に容器を差し出し、カネをせびる。
各々にここに至る事情があるだろうが、こんな場所で物乞いをされるのは、決して気持ちの良いものではない。
しかし我が日本では、先ず観光地に物乞いがいることはない。
無論、物乞いが軽犯罪法に抵触することもあるが、それ以前に、日本では物乞いを潔しとしない考えがある。
更に、物乞いをしなければ生きていけない人の絶対数が少ないのだ。
野党は、貧富の格差が拡大しているとか、金持ち優遇とか与党を批判するが、日本ほど平等社会はない。
海外の発展途上国の物乞いは、特に観光客が集まる場所には必ず現れる。
また、物乞いだけでなく、多数の土産物の押し売りにもまとわりつかれる。
決して肯定はしないが、仕事が万人にいきわたらない地域では、しかし生きるためにやむを得ないと同情する。
しかしヨーロッパの各国は、一応は先進国と位置付けられている。
民主主義も定着しているはずだし、政府の弱者支援も施されているはずだ。
そんな国でも、物乞いはいる。
数年前のイタリアで列車に乗っていると、乗客にチラシを配っている女性がいた。
そこには「私は貧乏なので、子供を育てるために協力してくれ」と書かれていて、乗客全員に配布した後、今度は容器を片手に集金して回る。
同時に、先に配ったチラシも回収する。
彼女が次の駅で下車すると、続いて別の男性が乗り込んできて、容器を片手に物乞いをしていた。
こうなると、物乞いも組織だった立派な職業になる。
物乞いは、カッパライや掏摸に比べると、犯罪ではない。
しかし、他に金を稼ぐ手段がないからとは言え、物乞いが町中に存在しているのは、外国人の目にはマイナスに映る。
日本人は、日本に物乞いがいないことを当たり前と思っているが、実はここにも日本の素晴らしさがある。