昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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もうすぐ日本テレビの24時間テレビだけど

この季節になると、日本テレビの24時間テレビが話題になる。

今回は、ある人がFacebook

・「(この番組に)文句があるなら介護車両とか車椅子を寄付して言え」

・「そう言うお前は何してんの」

との記事を挙げた。

 

そこから賛否入り乱れてのコメント論争となったが、その内容は

 ・この番組は偽善だから嫌いだ

 ・例え偽善でも、実際に車椅子や介護車両を貰えて喜ぶ人もいる

に大別されていた。

尤も意見としては、前者がほとんどで、「一人でも助かる人がいれば意味がある」と主張していたのは、最初の投稿者だけのような状況だった。

その為、投稿者はほとんどのコメントに反論する状況で、孤立無援の中での獅子奮迅振りが痛々しい感じとなっていた。

 

前者の中では、最初から仕込まれている、やらせマラソンに対しての批判が目立った。

真夏の炎天下、わすか一か月程度の準備期間で、タレントに長距離を走らせることの無謀さと、最初からの予定調和がなければ、命の危険に晒されると指摘する人もいた。

また、障碍者を見せモノにして感動を強要する、感動ポルノとの辛辣な意見もあった。

しかし何と言っても一番多かった反感は、出演者にギャラが支払わる点だ。

肝心の障碍者がノーギャラなのに、ボランティアを呼びかけるタレントには高額のギャラが支払われるのは、心情的に割り切れない思いからの批判だ。

 

これに対して投稿者は、「そんなに嫌なら見なければいい」と切り返していたが、多勢に無勢だったし、見る人が減れば募金額も減る。

昔は大人気番組だった日テレ「24時間テレビ」だが、時間の経過と共に、アレルギーを持つ人の方が圧倒的に増えている。

ここまで反発の声が多いとは、最近この番組の視聴率が振るわないはずだ。

 

僕も、この番組の在り方には強い違和感を持っている。

それは、主催者側のテレビ局と出演するタレントたちが、チャリティ精神よりも、その他のおちゃらけ番組と全く同じコンセプトで、番組を作っている点についてだ。

不特定多数の人にチャリティを呼びかけ、かなりの金額(数億円)を集めたと自慢しているが、彼らの責任は、その舞台を作り、そこで客寄せの余興を演じるだけだ。

言ってみれば、募金箱を用意し、視聴者に募金を呼び掛けるだけの役割で、実際に募金するのは視聴者に限られていることが納得できないのだ。

 

テレビ局は、感動巨編を作ることで募金額を増やす目的なのだろう。

メダマ企画として、タレントと障碍者に過酷なチャレンジを課し、「感動した皆さん、たくさんの募金をよろしく」と呼びかける。

しかしこれは、視聴率を稼ぐために際物を企画する他の番組と、本質的に全く一緒だ。

そこには、日テレが会社を挙げて、チャリティを推進していく姿勢は見られない。

 

こんなに時間とカネをかけて、無理やり感動巨編を仕立てて放送するよりも、24時間番組の政策に必要な費用の全てを、最初から障碍者団体に寄付した方が簡単だ。

それで空いてしまった一日分の放送は、従来の番組を再放送すれば手っ取り早いし、何よりも一般からの募金を上回るチャリティ金額になるはずだ。 

若しくは、一般から集まった募金額と同等、日テレの企業規模から見れば、出来ればその倍の金額を、テレビ局とタレントで負担すれば良い。

そうすれば、単純計算でも募金額は倍以上になるし、タレントも含めた番組制作関係者全員のチャリティ参加意識も高まる。

またギャラ目当てのタレントは出演を躊躇するだろうから、本当のボランティア精神の持ち主も明らかになる、

自分だけは何の負担もなく、自分たちの役割は人の親切心を刺激するだけとは、天下の日本テレビにとっては余りにもセコイ。

そんな製作者側の姿勢が、視聴者の支持を失っているのではないだろうか。

 

困った人を皆で助けるのは、崇高な行動だ。

中々チャリティ精神が根付かないと言われる日本で、マスコミとして地道な努力で啓蒙を重ねることは大いに有意義だ。

しかしそれが、他人の褌を当てにしただけだったら、却って企業イメージを損なう。

この番組の所為で、ボランティアへの嫌悪感が増しているのは、日本テレビにとっても本意ではないだろう。

 

チャリティ番組のパイオニア日本テレビは、感動の押売りで視聴率を稼ぐのではなく、文化としてチャリティ精神定着の率先垂範をすることこそ最大の使命だと思う。