昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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鈍感力

鈍感力とは、故渡辺淳一が作った言葉のようだ。

「鈍感力」と言うエッセイ集が出ているようだが、渡辺淳一の作品に興味がなかったので、勿論読んではいない。

読んでいないのだから確信はないが、この「鈍感力」の単語から推測すれば、「鈍感であることのメリット」を書いているのだろうと思われる。

 

そしてもしも、鈍感力が能力として存在するのなら、僕は手練れの使い手だとの自信がある。

何故なら、鈍感であることにかけては、決して人後に落ちないと思うからだ。

 

その昔、未だ現役会社員として宮仕えだった頃だが、ある会議で社長が猛烈な勢いで怒鳴り出した。

会社のトップともあろう人間が、我々に向かって「いい加減な仕事をやりやがって」と、品なく、口汚く罵ったのだ。

最高権力者が怒鳴るので、会場は水を打ったかの如く静まり返る。

将に、面罵とも言えるほどのエライ権幕だったが、その社長の対面に座っていた僕は、まるで平然としたもの。

「そうだ、そうだ、君たちはもっとしっかりしろ」と、同僚に気を配るほどで、まるで他人事のように聞き流していた。

と言うか、全く他人事で、同僚たちが社長から叱責されていると思い込んでいた。

 

しかし数年経って、あの時の社長の怒りは、実は僕に対してのモノではなかったのかと思い至った。

よくよく考えれば、あの時の社長は、僕の顔を睨みつけて怒鳴っていたし、何より、それ以降の僕に対する態度が、実につれなくなっていたことを思い出したからだ。

もしも怒られた瞬間にそのことに気が付いていたら、きっと深く傷ついたに違いない。

しかし何年もたった後なので、怒られた衝撃もスッカリ風化している。

また、かなり月日が経ってしまったので、今更、「社長、あの時の癇癪は、僕に対してだったですか?」などと聞きにも行けない。

この時ほど、鈍感で良かったと痛感したことはない。

 

ひょっとしたらあの時、伊藤詩織嬢にも似た別嬪さんに言い寄られていたのかも知れないが、鈍感故に気がつかなかったのは勿体無かった反面、そのお陰で職を失うこともなかったし、浮気や不倫で家庭が大騒ぎになることもなかった。

 

遡って学生時代、サボってばかりだったゼミに久し振りに顔を出したら、教授から「何しに来た?」みたいなことを質問された。

こちらは、一所懸命に受講の理由を説明したが、就職した後、あれは教授が僕の受講を嫌がっていたのではないかと反省した。

しかし、そんな教授の気持ちなど全く気がつかず、厚かましく居座って単位を取得。

そのお陰で、首尾良く卒業できたので、鈍感さん、ありがとうだ。

 

所謂、感受性にも乏しい。

ゴルフをしている時に、小雨にでも降られると、妻は大慌てで雨合羽を着込む。

少しでも濡れると、すぐに風邪をひくらしい。

その点、鈍感な僕は、少々雨に降られても別にどうってことはない。

月形半平太のように、「春雨じゃ、濡れて参ろう」と、実に泰然自若としている。

 

髭剃りの時だって、シェービングクリームみたいな気の利いたモノがなくても、皮膚がやられることもない。

剃刀を歯が直接肌に接しても、カブレるなどの経験をしたことがない。

蚊に食われても、赤く腫れあがるまで気が付かないことが多い。

 

最近は、レストランで「アレルギーは?」と聞かれることが多い。

しかし僕は、全く何でも食べるし、何かに中ったと覚えもない。

 

鈍感でいると、他人への配慮が行き届かない欠点があるが、一方では、自分の落ち度も気が付かず、平気の平左で過ごすこともできる。

鈍感は、僕のようなズボラな横着者の身を守るために、神さまが授けてくれた鎧のような気がする。

着ると重いが、怪我は少なくなる。

人生は、収支トントンなのだ。