別に、早く死にたいわけではない。
できれば、長生きをしたい。
勿論、日常の生活は暢気なものなので、そんなややこしいことを考えながら生きてなんぞいない。
が、今までだって、本能として死を恐れ、長く生きることを願っていた(だろう)。
しかし最近は、明らかに心情に変化が出てきた。
楽をしていても寿命が延びるのならありがたいが、苦労してまで長生きをしたくない。
長生きをギブアップ!
正確に言えば、「長生きをする努力をギブアップ」への方針変更で、これはもう期せずして既に実行している。
リタイア以降、少しでも元気でいたいと、毎日のウォーキングを日課としてきた。
これを、五年間は続けた。
一時期は、歩かないと一日の調子が悪くなるほど、生活の一部となっていた。
多い時は、月に百万歩近く歩いたこともあり、少なくても30万歩は歩いていた。
ところが、昨年の心臓カテーテル手術で、スッカリ様相が変わった。
医者からの指示は「歩数は多すぎても、少なすぎてもダメ」みたいな中途半端なモノだったので、それではと、一日6千歩と目標をレベルダウンした。
そこに、今年の猛暑が来た。
とにかく暑くて、外に出る気にならない。
昔なら、朝、起き出してすぐに歩いていたが、とてもじゃないが御免被るほど暑い。
そんな猛暑が続き、6月後半から今日まで、毎日2千歩程度しか歩かなくなった。
去年までは、汗だくになりながらも歩いていたので、自分の中では大きな変化だ。
これでは健康維持は無理だろうが、「暑くても長生きのために頑張る」気にならない。
暑さの所為で、ゴルフもご無沙汰だ。
ゴルフは適度な運動量なので、年寄りにも楽しめるスポーツだが、熱中症が怖い。
昔は雨が降ろうと猛暑だろうと、ゴルフのためなら労を惜しまなかったが、今ではそんな気力もわいてこない。
「このままゴルフを引退してもいいか」と、ヤル気を失っている。
食べ物もそうだ。
塩分たっぷりとか、脂分バッチリの食事は、普通は歳と共にだんだん食べなくなる。
実際に僕も、リタイア後の一時期、食事制限をしていた。
しかし今や、これも馬鹿らしくなってきた。
少々食事に気を遣っても、精々一年とか二年、寿命が延びるだけだろうと考えるようになったからだ。
また不慮の事故で命を失うことも、日常茶飯事で発生している。
それなら、好きなものを好きなだけ食べたい。
秦の始皇帝は、永遠の生命を求めて世界中に不老長寿探しの密偵を送ったと言われる。
不世出の英雄ですら、そんな馬鹿げた思いに駆られるのだから、僕のような凡人が長生きしたいと願うのは当たり前だ。
但し僕の場合、それには条件がある。
「健康で」の、前提付きなのだ。
病気ばかりしているのに、薬漬けで生き続けるのは、結構辛いだろう。
もしも退院の目処がない入院生活になったら、きっと大ショックだろう。
そんなことを考えるものだから、年齢と共に「生への執念」が薄らいできている。
人間の本能として、実際に死期が迫ってくると、またまた「少しでも長生きしたい」と思うかもしれない。
実際に歳をとればとるほど、日頃は「死ぬことなんかこわくない」と強がっていても、何か調子が悪いとすぐに病院に急行する人が増える。
しかし、何歳まで生き延びることができるかなんて、神様にしか分からない。
ましてや、敬虔な無宗教徒の僕には、自分の寿命など知りようがないのだ。
だから今の心境は、「ケセラセラ、なるようになるさ」だ。