昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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意見が違った時の解決法

TwitterFacebookをやっていると、基本的に配信される情報は、自分の考えと似たものばかりだ。

さすがに我が意見は多数派と思いきや、どうも、自分が登録しているグループなどから、予め思想傾向や好みをソートしているようだ。

 

ところがたまに、まるで反対の意見が紛れ込んでくる。

「ここは君のようなヒダリ巻きが来るところではないよ」と注意したいのだが、彼らの方は、確証バイアスで凝固まった連中に、一石を投じたいのだろう。

敢えて反対意見を投稿することで、自分たちの意見の反対グループに問題提起をしたり、留飲を下げたいとも考えられる。

これは通常「嫌がらせ行為」と言われ、子供の頃から「嫌がらせをしてはいけない」と教えられたはずだが、ヒダリ巻き簾中にそんな常識を諭しても時間と労力の無駄だ。

 

いずれにしても、不愉快な意見を押し付けられるのは迷惑千万だが、それでも世の中には、実に様々な意見があることは分かる。

僕なんかは速攻で「こんなバカなこと言うヤツは何者?」と思ってしまうが、そ奴のページを訪問してみると、驚くなかれ、そこには僕と正反対の意見が満ち溢れている。

これじゃ、民主主義で方向性を決定するのに梃子摺るはずだ。

 

共産主義独裁国家では、そもそも意見が分かれることはあり得ないが、民主主義の国では、そんな時は先ず話し合えと言われる。

話し合いさえすれば、お互いに必ず妥協点が見つかり、双方が納得する円満な解決が可能になると信じられてきたからだ。

しかし実際に、僕の反対連中の意見を見ると、そんなこと絶対に無理だ。

 

何せ、拠って立つ基盤が全然違う、

共産党の価値観を信じる人と、共産主義を完全否定する人では、話し合う余地はない。

価値観が180度違っている場合は、歩み寄りようがない。

 

今で言えば、日韓関係悪化が挙げられる。

僕は韓国に関しては、非韓三原則の信奉者で、「教えない、助けない、関わらない」のがベストと考えている、

しかし僕の反対派は、「日本は韓国に悪いことをしたのだから、謝罪しなければいけない」などと平気で言う。

 

この意見の違いは、どう話し合えば妥協点が見つかると言うのか。

僕は韓国に対して、日本がこれ以上妥協を重ねると、異常な国家、韓国はますます図に乗り、更に日本に対して恐喝行為を繰り返すと見ている。

一方の親韓国派は、「隣国との関係悪化は日本の安全を脅かす」と主張する。

こんな意見を、足して二で割るような解決案はあり得ない。

結局は、多数決で決めようとなるしかない。

しかし現実は、選挙で負けた少数派にも拘らず、更に声を張り上げて自分たちの主張を繰り返している。

 

日本維新の会を除名され、N国党に属している丸山穂高議員の、竹島に関する発言がまたも問題視された。

丸山議員の説明も丁寧さに欠け、すぐに「戦争で解決」みたいなニュアンスの発言を持ち出すので、さらに議論が紛糾する。

しかし彼が言っているのは、国際間に領土問題があれば、話合いでの解決は無理だという事で、歴史的に残念ながらこれはほぼ正しい見方だ。

 

領土問題を解決するためには、双方にウィンウィンの方法を見つけるか、あるいは武力行使しかない。

ウィンウィンの解決法があれば楽だ。

例えば、ある国が既に占有している領土を手放す代わりに、それを補填して余りある経済保証があれば、政府は国民を説得できる。

何もないのに、せっかく領土として取り込んだ土地を、むざむざ元の所有者に戻すことは、国際的に褒められるかもしれないが、自国民を納得させることができないのだ。

ロシアによる北方領土占拠がこの典型で、四島に既にロシア人が住み込み、資本投下までしていると、ロシアによほどのメリットがない限り返還するはずがない。

意見の違いに利益の奪い合いまで加わると、もはや悠長な話合いなど無駄になる。

 

戦後の教育では、徹底的に暴力は悪と教え込まれた。

だから「暴力では何も解決できない、話合いこそ大事」みたいな夢物語が正義と思われてきた。

しかし人間は、いざと言う時は暴力で、自分たちの正義を貫いてきた。

今までがそうだったり、今からだって、それは変わらない。

暴力は嫌だとか、可愛い子供たちを暴力から守るとかは、市民生活の上では正しい。

しかし国際政治力学では、暴力の裏付けがない限り、あっという間に反対派に蹂躙され、もっとひどい暴力の下に晒されることを知るべきだ。