昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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理想の老後

HATENAブログ今週のお題は「理想の老後」らしいが、端的に結論を言えば、そんなものはない。

 

出題した人には、

 ・長年真面目に働き、会社でソコソコの立場で引退、老後の心配のない貯金あり

 ・学業優秀だった子供も、会社の然るべき地位につき、幸せな結婚生活中

 ・文武両道で将来性抜群のオトコの孫と、見目麗しく人気抜群の孫娘がいて

 ・二世帯住宅に三世代同居

 ・歳をとってもいつも仲の良い夫婦で、年に一度は一緒に海外旅行

 ・いつも子供に健康の心配をされ、既に夫の出身地方に墓が準備されている

みたいな、上品な老夫婦と、バイタリティ溢れ成功したその子供夫婦と、可愛い盛りの孫たちが織りなすドラマのような人生模様こそ、理想の老後像と見ているのかもしれない。

 

実は老後の次には、必ず死が来るが、若いころは誰もが死を身近に感じることはない。

しかし実際には、歳を重ねるとともに、様々な健康障害が発生する。

どんな精密機械も、耐用年数はせいぜい50年。

人間も精密機械のようなものだから、50年経過するとあちこちにガタが来て、その時々に適切なメンテナンスが必要になってくる。

目が見えない、耳が遠いなどは当たり前で、モノを食べる時の嚥下能力も衰える。

歩くとちょっとした段差で躓くし、眠りも浅い。

 

その度に病院にかかり、薬を調合され、ドンドン飲む薬の量と数が増える。

体力も病気への抵抗力も衰えていくが、これは全て刻々と迫る死への慣れの期間なのだ。

「大丈夫かなァ?」と不安がり、「イヤ、絶対に大丈夫!」と強がることを繰り返す。

そして、そんな老後を過ごすということは、本能的に死を恐れながらも、無意識のうちに死に向かって心の準備をしているのだ。

 

誰もが羨むような優雅な生活を送っている老人だって、死から逃れることはできない。

爪に火を点すような、厳しい老後生活をしているからと言って、その人が不幸なわけではない。

リッチな生活に未練たっぷりな人と、辛い生活から解放されるとホッとする人と、いざ死を迎えた瞬間に、どちらが幸福なのかなんて、当事者にしか分からない。

 

絵にかいたような老後が、理想そのものの保証なんかどこにもない。

むしろ一日を無事に過ごし、不安なく翌日を迎えることができれば、それだけで充実した老後になるのではと思う。

 

今や僕も、現役バリバリの老人人生を送っている。

ゆとりタップリの生活ではないし、やるべきこともなく、社会貢献の可能性もゼロだ。

許されるならもう一度、昔の仲間と仕事をやりたい気持ちは残っているが、そんなチャンスは絶対に訪れない、

一般的な理想の老後には程遠い生き様だが、死ぬ時には、全てのステークホルダーに感謝しながら息を引き取りたいと思っている。

最後の最後でそんな気持ちを持てるとしたら、それは僕が理想の老後を送った証しだ。