知人の孫が、一風変わっているらしい。
友人ができにくく、趣味も一人っきりで済ますものばかり。
こんなタイプの子供は、学校でも仲間外れになり、苛められる。
そこで、寄宿舎つきのエスカレータ中学に入学させたが、そこでも人間関係に悩み、結局は学校付きの専門病院で治療を受けながら学ぶことにしたようだ。
知人が孫の将来を不安視しているだろうと同情していたが、豈図らんや「孫はアスペルガー」と意気軒昂だ。
孫の症状や行状から、アスペルガー症候群に違いないと、勝手に確信しているようだ。
そしてその表情に、全く不安感はない。
アスペルガー症候群の患者には天才肌が多いから、孫もそれに違いないと、むしろ期待感すら感じられる。
アスペルガー症候群は、自閉症の一種らしいが、言葉に不自由しない。
コミュニケーションに支障がないので、「若干変わり者」程度にしか見られない。
しかも感性は鋭いので、一芸に秀でていたり、あるいは誰にも真似ができないほど一つのことに集中する能力があると言われる。
だから、アスペルガー患者と言われても、家族としては前向きに向き合いたい気持ちは理解できる。
しかし知人のように、専門医の診察を受けた訳でもないのに、アスペルガーに違いないと思い込むのは、如何なものか。
アスペルガー症候群の患者は、4千人に一人と言われる。
天才が,、そんなにたくさんいるわけはない。
よって、アスペルガー患者、即ち天才論には無理がある。
この手の病気は、専門家の診察で症状の解明は進んでも、決め手となる治療方法がなかなか見つからない。
しかし、アスペルガー症候群の抜本的な治療ではないが、その人の能力を生かす指導法は研究されている。
この薬を飲めば、あるいはこんな治療をすれば、人付き合いができるようになるなんてモノはないが、こう付き合えば能力を発揮するようなやり方だ。
アスペルガー症候群は病気ではあるが、大した障害ではない。
仰々しい病名が付くから、何か重大な欠陥があるように思ってしまうが、病状と言っても、人付き合いが少々下手なだけで、普通にしゃべり、普通以上の集中力があるのだったらハンディでもない。
受け入れる側が、ちょっと変わり者で、不器用、不愛想な人間との付き合い方さえ学べば、充分に戦力となりうる。
ただ、自己中心で、他人への思いやりが希薄の人もいるので、予めその性格を知らないと誤解してしまう恐れがある。
スウェーデンの環境活動家、16歳のグレタ・トゥーンベリは、自分がアスペルガー症候群の患者だとカミングアウトしている。
だから国連で、あのような血走った眼差しで過激な演説をすると、「やはりアスペルガー患者だから」と捉えられがちになる。
しかしあれは、隔絶された世界で両親の特殊な教育を受けたためであり、アスペルガーだからあんなになってしまったわけではない。
彼女の場合、アスペルガーをカミングアウトすることが、却ってアスペルガーへの偏見を生んだ例だ。
逆に、変わり者の有名人を、アスペルガー症候群の患者と決めつける、素人判断にも感心できない。
「アスペルガーだから天才」みたいな、過大な期待になり、むしろ逆効果になる。
アスペルガー患者と分かっていたら、チョットとっつきにくい普通のヒトとして付き合う方が、本人にも負担にならないし、能力も研ぎ澄まされるはずだ。
変わり者は世渡りが下手なので、世間から阻害されがちになる。
しかし、変わり者でも受け入れ、活躍の場を与える弾力性のある社会や組織こそ、実は健全なのだ。
ましてや、目の前の人がアスペルガー症候群患者と分かっていれば尚のこと、特別視などせずに、普通に、且つ肯定的に接すればいい。
周囲の理解さえあれば、アスペルガーなんて、患者も家族も不安に思うことはない。