妻は、同郷で一年後輩だ。
当時、男子生徒の間で可愛いと噂されていた彼女の名前を初めて聞いたのは、中学3年の時だが、まるで別世界のお嬢さんで、悪ガキだった僕との接点など全くなかった。
ただ、僕の世代の女性の名前は、大半が「〇〇子」だったが、彼女は当時は珍しい、ひらがな書きの花の名前だったので、大変印象的だった。
その後、僕と彼女は同じ高校に通ったのだが、彼女は入学直後から、多くの男子生徒のマドンナ的存在になっていた。
僕の後輩などは、一方的に彼女に熱を上げていたが、硬派を気取っていた僕は、実際には、この頃までの彼女を名前以外は知らなかった。
勿論同じ高校に通っていたので、彼女の顔を見る機会くらいはあったが、僕の彼女への印象は、「目がでかいオンナだな」だった。
それでも、共通の女性友人がいたので、その女性を介して、お互いにまるで知らない仲でもなくなっていったが、後に結婚するなどとは全く考えられない間柄だった。
この頃の僕は、あくまでマイペースの高校生で、ガリ勉には程遠い存在だった。
しかしその割りには、彼女が不得手とした数学の成績が良かったので、彼女には珍しい存在に写っていたようだ。
高校を卒業後の彼女は、東京で女子大を卒業し就職したが、両親との約束通り一年で辞めて実家へ帰り、いわゆる家事手伝いと称する花嫁修業中との噂が伝わってきた。
就職後の僕は、まるで偶然だが、彼女の自宅に近い営業所に勤務していた。
ある時、職場の先輩から、「女性従業員が結婚で辞めるので後任が必要だが、誰か知人はいないか?」と質問された。
そこで、彼女は暇を持て余しているに違いないと思い込み、リクルートの電話をしてみたが、「今更OLなんて嫌だ」と返事された。
社員採用は僕の本業ではないので あっさり矛を収め、「じゃ、今度飯でも奢るよ」と電話を切ったが、このことがきっかけになった。
ある日、彼女が「近所に来ているので、食事を奢ってください」と電話してきた。
その時の食事をしながらの四方山話で、あれだけ人気者だったにも拘らず、彼女は全く偉ぶったり、オ高クとまった所がなく、むしろごく普通のおとなしい女性であることが分かり、派手だと思っていたイメージとの違いに驚いた。
しかも彼女は、母親と非常に仲が良く、いろんな出来事を包み隠さず相談するなど、精神的に恵まれた家庭で育ったためか、捻くれた所がなかった。
彼女の方は、僕が真面目に仕事に取り組んでいる姿と、高校時代の全く不真面目だった勉学態度の違いが新鮮に見えたらしい。
後日談で、彼女の僕への印象が決定的に変わったのは、食事の場所に移動する前に、彼女の帰宅用電車の時間を確認したことだと話していた。
将にこの日がきっかけとなり、一週間に一度、デートする間柄になり、その後、縁があったのだろう、極めて短期間付き合っただけで一気に結婚話となった。
それにしても、彼女もまた、よくも短期間で結婚を決意したものだと思う。
実は、彼女の母親が、僕の電話対応が気に入り、また僕が常に爪を綺麗にしているなど細かいところに気が付き、「彼なら大丈夫」と応援してくれたようだ。
また「あなたの年齢で、何時までもボーイフレンドとガールフレンドみたいな付き合い方は許されないから」とも念を押された彼女は、「分かっている」と返事したらしい。
家庭を見るとその人の本質が分かると言うが、僕は当たっていると思う。
結婚が決まった時には、共通の知人は全員驚いたらしい。
まさか、僕と彼女が結婚するとは、青天の霹靂だったらしいのだ。
また僕の方が一方的に熱を挙げ、熱心にアタックしたので、彼女が根負けしたと思っている輩も多い。
しかし実際は、彼女の方が先に僕に好意を持ったのだ。
僕は固くそう思っている。(尤も彼女は、なかなかこのことを認めないが。)
結婚して分かったが、彼女はまた、非常に家庭的な女性だった。
家事が大好きで料理を手早く、上手く作る才能があり、綺麗好きで掃除を欠かさない。
風呂洗いも嫌な顔一つしないなど、それまでゴミと共に生活し、食堂の定食を主食としてきた僕にとっては、カルチャーショックを感じるほどの結婚生活となった。
僕の母は、お世辞にも料理のセンスがあったとは言えなかったので、家庭料理と言うものがこんなに美味しいのかと改めて感心した。
新橋「酔心」の壁に、「日本で二番目においしい店」の書が掛けてあった。
真意を聞いたら、仲居さんが、「一番は奥様の味、私の所は二番目です」と答えた。
結婚した後、私はこの事を思い出した。