Faebookで「何故この答えが間違っているのか?」と投稿があり、笑ってしまった。
算数の問題で
「駅まで30分かかるが、8時50分に到着するには家を何時何分に出ればいいか?
その理由も考えましょう」であり、
この答えが
「8時15分、8時20だとギリギリで焦るとあぶないから」
だが、こればバツ点。
何故?と疑問視したものだ。
当然、様々なツッコミがある・
・8時20ではなく、8時20分と書くべき
・5分の余裕でイイのか?
・算数の答えはバツだが、実社会では大正解
しかし圧倒的に多いのは、問題の出し方が悪いと言うものだ。
・設問がバカ過ぎ、曖昧な出題では明確な回答は引き出せない
・理由を書けとなると、単なる算数の問題とは思わない
・そもそも交通手段も書いてないし、車なら渋滞の可能性がある
そしてこの答えを不正解にした採点には
・子供の柔軟な発想を妨げる日教組的教育
・この答えは絶対に正しい
とか、賛否両論、議論百出で、とにかく姦しい。
僕は、
・我が子だったら絶対に褒める
・出題や採点教師はアウトだけど、こんな発想ができる子を育てた親はエライ
とコメントした。
実は我が家でも、似た経験がある。
子供が一年生の時の国語の試験で
問題は、「次の文章を読んで( )の中に、だれが、どうしたか、書きなさい。」
これに対する我が息子の答えは簡潔で、(だれが)(どうしたか)。
残念ながら、勿論バツ。
意表を突かれたような答えだったので思わず吹き出して、子供に「これは(はなこさん)が(学校に行きました)と書くんだと教えた。
しかし彼は、「お父さん、僕は文章を読んだけど、だれがそうしたかを書けと書いてあるから、その通りに書いた」と答えた。
強がりもあって、「ヨシヨシ分かった、この答えは我が家では〇」と褒めてやったら、さすがに嬉しそうにしていた。
子供は、まるで無邪気に発想している。
我が息子は、こんな風だったから、その後の学校の成績も全くパッとしなかった。
しかし僕は、「この子には、誰にも真似できない豊かな着眼点がある」ので、大器晩成型の大物だと固く信じていた。
そして、それから四十年近い年月が流れた。
あの時に、親に大きな期待感を持たせてくれた息子は、その後持っているはずの才能が全く開花しないまま、中年爺ィに成り果てている。
親子ともども、人生は上手くいかない、