結婚する時の妻の言葉が、今でも忘れられない。
「私の両親は仲の良い夫婦ではなかったので、私は仲の良い夫婦になりたい」
率直な物言いだったので、印象的だった。
全く違った環境で育った二人なので、価値観や見解の違いは多々あったし、マイナートラブルには事欠かなかった。
特に新婚当時は、お互いに間合いが分からず、何かにつけて自分のペースを主張し合うので、衝突することが多い。
ただそんな時はいつも、妻の言葉が頭をよぎり、幸いにして大喧嘩には至らなかった。
歳をとってくると、それなりの分別が付いてくるので、簡単には喧嘩にならないが、今度は仲直りのチャンスがない。
だから、喧嘩にならないように、お互いに気を配っていないと、傍から見ると「仲の悪い夫婦」になってしまう。
我が家は、一か月近く夫婦で海外旅行するケースが多い。
この間は、添乗員などいない、まるで二人きりの旅なので、旅先で何かトラブルが発生すれば、二人で協力して解決しなければならない。
喧嘩なんかしている暇はない。
それでもやはり、慣れない海外で緊張している所為か、思い通りにいかないと相方への不満が出てくる。
何度も、二人してソッポを向き、全く口を利かない状態になった。
そこで数年前に、旅のスタートの成田空港で、「今回の旅行の最大の目標は、旅行中に絶対に喧嘩をしないこと」と二人で確認し合った。
そうすると、今までならチョットしたことでいらだっていたのに、喧嘩禁止だからと双方とも腹に収める。
「やればできる!」
その結果、旅行中だけでなく、帰国後の喧嘩も激減した。
我々夫婦の反面教師だった、義父と義母については、昔風の夫婦だったのでまるで仲が悪かった。
両方とも健在の時は、一見すると義父の方が一方的に威張っていて、義母は我慢を強いられるケースが大半だった。
その結果、義母の方に不満がたまり、子供たちに愚痴をこぼす。
派手な夫婦喧嘩の後は、陰で「あんなオトコ、死ねばいい」とまで、罵倒していたこともある。
ところが夫の先立たれた後は、スッカリ様相が変わってきた。
「やっぱり、おとうさんがいないと困る」とか、「頼りのなるのはおとうさんだった」とか、やたらと義父を懐かしがる。
それまでは、二人が仲良く話し込んでいる場面などほとんど見たこともないくらいだが、「話し相手がいないと、本当に寂しい」と嘆く。
長年夫婦でいると、最終的には親にも言えない悩みも相談する間柄になる。
母が死んだ時、父は遺体に向かって「この人は俺の同志だった」と絶句したらしい。
母は、叶いもしない夢追い人だった父に対して多くの不満があったようだが、それでも50年近く一緒に苦労して、人生の最後は、いつも二人並んでテレビを見ていた。
仲が良くなかった夫婦なのに、一方が死んでしまうとその存在価値が分かる。
そんなこと、もうちょっと早く気が付けば良かったのにと思うが、失って初めて、失くしたものの価値が分かるのかもしれない。
勿体ない話だ。