「あらゆる差別反対!」を叫ぶ人たちは多い。
韓国や同和問題になると、途端に論調が感情的になる橋下徹は、「差別される辛さは差別されたものにしか分からない」と言う。
確かに、本人に何の瑕疵も問題もないのに、謂れもなく差別することは許されない。
そんな差別に反対することに、何一つ異論はない。
しかし世の中には、生れ落ちた瞬間から、明らかに差別され続けてしまうものがある。
それは、顔やスタイルの美醜に関してだ。
仮にブオトコ、ブスに生まれても、本人には何の責任もない。
見た目の美人、美男子とブオトコ、ブスの差は、今まで一族郎党が営々と続いたDNAに依るものだからだ。
そんな中で、噴飯モノの正論の一つに、「人を見かけで判断してはいけない」がある。
ディズニー映画には、そんなテーマで作られた「美女と野獣」とか、「ノートルダムの鐘」がある。
いずれも、見てくれが悪いために長らく差別されていたオトコが、実は素晴らしい心根の持ち主で、主人公の美女から慕われる。
最終的には、様々な障害を乗り越え、美女と添い遂げるハッピーエンドストーリーだ。
学校の教材にもなりそうなイイ話だが、この時ブオトコの相方は必ず美女と決まっているのがおかしい。
オトコはブオトコでもいいが、オンナは美女に限るとは、やはり人が見かけで判断されていることの表れだ。
いくら世の中は公平などと言っても、実際には、美男美女は得だ。
僕の先輩は、「今度生まれ変わったら、絶対に美人のオンナになる」と力説していた。
経済効果が違うというのだ。
美人なら、言い寄るオトコたちが食事はご馳走してくれるし、欲しいものもプレゼントしてくれる。
その分オトコは、彼女の分まで努力して、カネを稼がないといけないが、美人に生まれただけで自分の金を使わなくて済むなら、こんなにいいことはない。
映画やテレビドラマの主人公は、悉く美男美女ばかりで、しかも性格まで素晴らしい役柄が設定されている。
そんな理想的な人間がいるとは思えないが、仮にいれば、それは希少価値があり、そうでない連中からは羨望の的となる。
その瞬間から、実は差別が発生しているのだ。
世の中は不平等で、人間はあらゆる境遇や能力に差がついている。
一人ずつ見比べれば、学校の成績や運動能力も、努力では補えないほどの差がある。
美人、美男子も、格差の一つだ。
ただ幸いなことに、人間はある年齢に達すると、その人の内面性、即ち中身が顔に現れてくる。
様々な経験を経ることで、例え目鼻立ちが整っていなくても、何とも魅力的な表情になるものだ。
しかしブオトコに生れれば、そんな魅力が身につくまでは、やはり世間の厳しい視線を耐えなければならない。
こんな悲しいオトコに、ディズニー映画のような幸運はめったに訪れるものではない。
映画やテレビの夢物語に期待しても、全くむなしい。
因みに、自称「面食いオンナにはモテる」僕だが、どう見ても美男子ジャンルには位置付けられない。
しかし、ブオトコ、ブスに生まれた不運を嘆くのは後回し。
経験者としてアドバイスすれば、この差別を乗り越えるために、社会人として普通に苦労を重ね、そこから様々なことを学び、考え、そして行動することで、自分の顔を磨くしかない。
12年間、ラグビーW杯ベスト8進出を悲願に努力して、今回やっとその望みを成就した、ジャパンの田中史朗なんかは、男に惚れられる男の中のオトコ振りではないか!