僕は、ほんの若干右寄りのオトコだが、天皇陛下を絶対視する右翼とは違う。
かと言って、「天皇制廃止」などと叫ぶサヨク連中は、嫌悪する。
日本の天皇陛下は、日本国憲法で「日本国民の象徴」と位置付けられているが、僕はそれを、謂わば帽子の徽章のような存在と思っている。
帽子は徽章がなくても、帽子そのものの機能には全く問題がない。
しかし徽章があると帽子がカッコよくなり、帽子を被る側は、ある種の誇りを感じ、自慢気になる。
無くても困り果てるものではないが、あった方が見栄えが良い。
天皇陛下を敬う思いは、ゴルファーの大半が、有名ブランドマークがついている帽子を着用して喜ぶのと似ている気がする。
日本国民統合の象徴として、天皇陛下や皇室は、昔から歴史的な機能を果たしてきた。
そして、その天皇陛下の役割は、日本国が続く限り変わることはない。
普通の庶民感覚で天皇陛下を見れば、まるで自由を束縛された存在なのに、天皇陛下は、日本だけでなく世界平和を祈り続けると宣言された。
その献身的な立ち居振る舞いを見ると、日本人として感謝の気持ちしかない。
生まれた時から天皇陛下になることを義務付けられていた今上天皇は、この10月から一連の即位の儀を執り行われた。
僕は、このような皇室の制度やしきたりに詳しいわけではない。
大嘗祭が非公開なのも、批判の対象になっているらしい。
秋篠宮殿下が、天皇の私的行事に国費を使うのは問題と発言したことも話題になった。
しかし、日本国の象徴の立場にある天皇陛下に、私的行事などあるのだろうか。
公も私もないのが天皇陛下だと思うが、もしもそれでも大嘗祭の内容に私的要素があると言うなら、逆にその全てをオープンにする必要などないと思う。
秋篠宮殿下も、そんな不満や不平をマスコミ相手に喋るのではなく、皇室内部で問題提起して、宮内庁と共に解決すれば良いのにと思う。
何となく、自民党で安倍政権の背後から鉄砲を撃ち続ける石破茂にも似た行動で、好感が持てない。
天皇陛下にとって大嘗祭が「一世一代の重要な皇位継承儀式」なら、それを国費で負担することなど当たり前ではないだろうか。
何故なら、天皇陛下の存在は、憲法で日本国民の象徴と規定されているからだ。
そもそも、大東亜戦争までの天皇陛下は現人神だったが、終戦後に人間宣言された。
その後の日本国憲法では、人間、天皇陛下を国の象徴と定義した。
その結果、天皇陛下には、何一つ権限も権力もない。
天皇陛下には、選挙権すらないのだ。
これは、人間宣言された天皇陛下への、重大な人権蹂躙ではないか。
それにも関わらず、天皇陛下は、無私の想いで日本と世界の平和を祈り続けている。
天皇陛下の存在は、日本と日本人の求心力になっていることは間違いない。
イギリスにもデンマークにも、長期間続く王室はあるが、日本のように2600年にも亘って、国民から信頼され続けている万世一系の皇室などは世界史的にも例がない。
中国の皇帝は数百年間統治できても、最後は次の征服者に九族皆殺しにされ、墳墓を暴かれてきた。
他の国も似たり寄ったりで、万世一系は全ての皇統の夢だが、日本の天皇を除いて、どの国でも実現できてはいない。
天皇陛下はそんな奇跡的な存在であって、世界から畏怖され、尊敬を集める存在として、日本の信用を高め、国益に寄与しているのだ。
無論、政教分離を声高に主張する人たちはいるだろう。
自分が信じる神様以外を絶対に認めない人たちからは、大嘗祭の費用を国が負担することへの訴訟も起きているらしい。
この辺は、あらゆる神様を認め、崇める多くの日本人と、唯一絶対神しか認めない宗徒の、宗教観の差がある。
しかし、天皇陛下の存在と日本古来の文化は、他の宗教といとも簡単に共存共栄していて、彼らの活動の邪魔になるものではない。
だから僕は言いたいのだが、
ここは日本だ!
神道を信じている日本人が、他の宗教に文句を言うことはない。
その代わりに、日本古来の宗教に、一々、文句をつけるな!
と。