昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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日本人と神道

僕は、全ての日本人は神道イストだと思っている。

日本人の日常の行動は、神道の影響下にあるとしか考えられないからだ。

 

海外のスーパーに行くと、日本人には信じられない光景を見ることがある。

例えば中国では、客が箱を開けて中を見ているのだ。

外枠に書かれている製品表示と中身が合致しているのかを確認しているのだと言う。

残った製品は売り物にならないのではと思うが、中国では、表示と中身と違うことがあるので、中国人にとっては普通の行動らしい。

そもそも商品管理が徹底している日本では、消費者が商品を購入する時に、疑いを持っているなんてありえないほどレアケースだ。

 

アメリカのスーパーでは、一部が凹んだペットボトルや缶コーヒーが普通に売られているし、消費者も平然とそんなモノを購入していく。

聞けば、「容器が凹んでいるだけで、中身には無関係だろ」と言い切る。

「日本では一万個に一つでもこんな商品があれば、そのロット全部を不良品扱いする」と言うと、「Crazy!そんなバカな」と却って呆れられた。

 

ここに神道の影響を受けた日本人と、そんな宗教の存在も知らない外国人の差がある。

 日本神道の根本は、穢れと祓い(禊)だ。

日本人は、穢れ(汚れ)を嫌い、祓いによって穢れを落とすことを美徳としている。

 

こんな日本人の特性は、外国人が見れば不思議な行動にもつながっている。

日本人は、駅のキオスクでスポーツ新聞を買う時も、町の本屋で文庫本を買う時も、一番上ではなく、わざわざ数段下のモノを取り出して購入する。

これは一番上のモノは、埃で穢れていると思っているからだ。

日本人は、電車のシートには、必ず端っこから座る。

これは他人と接触すると、その部分が穢れると思うからだ。

日本人には、相手への信頼と友情を表す手段としては、今回のラグビーW杯で有名になったお辞儀があるだけだ。

外国のような握手、ハグ、キスとかの、接触を伴う習慣はない。

これもまた、神道の影響なのだ。

 

僕の小学生の時代は、やたらと汚い子供がいて、苛めの対象になっていた。

決して良いことではなかっただろうが、子供心に、汚いモノは排除されることを実感し、経験してきた。

そんな延長線に、日本の品質管理がある。

日本製品の品質の高度さは、世界的に驚かれている。

赤道直下の航路を数か月間もかけて、アメリカに輸出された何万台もの日本車を陸揚げする時、一台残らずエンジンがかかるなんて、アメリカ人には神業としか思えない。

おんな品質への拘りが、日本製品への絶対的な信頼へとつながっている。

しかしこれは、「穢れた異物を発見し、排除する」日本人の特性にマッチしているからこそできる技なのだ。

日本製品が世界に誇るほど高品質になったのは、知らず知らずに日本人が共有化している、日本神道精神の影響に拠る。

 

僕はキリスト教徒ではないから、ここからは推測の域を脱しないが、欧米人は同様に、キリスト教の影響を強く受けていると思われる。

これも旧聞に属する話だが、田中角栄疑惑の時、ロッキード社のコーチャン会長は、公聴会田中角栄とのやり取りを克明に証言した。

ビジネスの世界ではありえない話で、お互いの商談の内容は秘密にしてこそ、ビジネスパートナーとしての信頼を得ることができる。

しかし、キリスト教徒のコーチャン会長には、公聴会の初めに聖書に手を置いて宣誓した以上、神様に対しては絶対に嘘をつかないのが、宗教的信条なのだろう。

 

確かに、「苦しい時の神頼み」とご都合主義で神様を持ち出す日本人に比べ、キリスト教徒やイスラム教徒は、神様を裏切ることは人間失格とまで思い詰めている。

どちらが優れているとか、どちらかは間違っているとかの話ではなく、いずれの宗教も、長い年月で信徒の思想と行動を支配するほどに浸透しているのだろう。

 

僕は、自分は「敬虔な無宗教徒」と自称しているが、実際は「知らず知らずの神道イスト」だったことに気が付いた

そしてそのことを、日本人として誇りに思っている。