昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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いくらローマ教皇が説法しても

僕はキリスト教には無縁の人間なので、ローマ教皇には全く畏敬の念がない。

しかし、世界中に10数億人はいると言われるカソリック教徒には、神様の次に偉い人なのだろう。

日本にクリスチャンがどれほどいるのかは知らないが、彼らがローマ教皇を心から歓迎することに、イチャモンをつける積りなどさらさらない。

 

しかし、そのローマ教皇の来日目的を聞くと、全く首を傾げてしまう。

 

ローマ教皇は、核兵器被災地の広島と長崎を訪れ、世界に対して平和を訴えたらしい。

その後は、即位した日本の天皇陛下を会う予定だと言う。

 

後者から言えば、日本の天皇陛下は日本神道の総元締め的存在だ。

ローマ教皇からすれば、異教徒の親分格にあたる。

今のローマ教会は異教徒交流に熱心で、各々の宗教が協力して世界平和を実現しようとの高邁な理念に基づく行動とは思うが、本来のキリスト教一神教だ。

キリスト以外は、他のいかなる神様の存在も否定するはずなのに、八百万の神様を擁する日本神道の宗徒と会って、何を話そうとするのだろう。

高貴な御二方の会談の内容が気になるが、こちらはキリスト教と日本神道の相互理解への繋がるのなら、誠に結構なことだと思う。

 

前者の、世界平和に至っては、僕はローマ教皇の心からの善意は感じるが、広島や長崎でそれを表明しても、全く意味がないと思っている。

そもそも広島や長崎は、核兵器の被災地なのだ。

両市民は、核兵器を恐ろしさや、後遺症を世界で一番知っている被害者だ。

核兵器反対に関して、そんな謂わば身内の場所で「核兵器のない世界を目指そう」と言えば、周囲は全員「賛成!」となるに決まっている。

何せ日本には、核兵器はないのだから、反対するはずもない。

 

そんな分かり切った場所ではなく、ローマ教皇核兵器廃絶を働きかけるのなら、今なら北朝鮮金正恩を訪問し、彼に対して諄々と核兵器開発の中止を説得するべきだ。

それをせずに、核兵器反対の同意見ばかりの人たちの集まりで、「核は国を守らない」とか「核のない世界は実現できる」とか有り難いご説を並べ立てても、肝心の核所有国には真意が伝わらない。

はっきり言えば、ローマ教皇がどれほど素晴らしいスピーチをしても、核所有国が核兵器を廃棄したり、核兵器開発中の国が開発を断念することなどない。

 

日本でも毎年8月の原爆記念日で、恒例のように核兵器廃絶が訴えられ続ける。

しかし北朝鮮がその訴えに耳を貸すことはなく、アメリカ、ロシア、中国の大量核所有国が、自ら核兵器を廃棄する動きにもならない、

ローマ教皇が高邁な理念を訴えれば、世界中の指導者が感激して、核兵器の恐ろしさを痛感するなど、全くの幻想だ。

 

今回のローマ教皇は、「抑止力も含めて核兵器は違法」と、歴代ローマ教皇の方針から、更に核兵器廃絶へと踏み込んだらしい。

ニュースを見ると、ローマ教皇の演説を聞いた広島・長崎市民が、「ローマ教皇の発言は重い、各国の指導者は耳を傾けて」と、大きな期待の声を挙げていた。

しかし広島・長崎市民は、何かセレモニーがあれば毎年のように核廃絶を期待し、毎年「裏切られた」と落胆している。

 

残念ながら、核兵器が残虐な武器であるほど、国際社会では核兵器の持つ戦略性が高まっているので、秘密裏に核兵器を開発してきた。

インド、パキスタンイスラエルが核所有国なのは、公然の秘密だし、北朝鮮もそれに続こうとしている。

だからこそ、北朝鮮は核開発を絶対に放棄しないし、韓国からだって朝鮮統一の暁には核所有国となり、国際社会で発言力が増すと期待する声が聞こえてくる。

 

人類が核兵器を開発、使用、所持した以上、もはや核兵器使用を抑制するのは、人々の善意ではない。

ローマ教皇の麗しい言葉に酔っていても、厳しい国際社会で生き残ることはできない。

平和を求めれば求めるほど、平和主義者であればあるほど、核抑止力は核兵器しかないとの現実を、日本も理解するべきだ。