百田尚樹が書いた「今こそ韓国に謝罪しよう」は、サヨク界隈では大変評判が悪い。
この本の体裁は、日本が韓国で実施した様々な政策を紹介し、「余計なことをして申し訳ない」と謝罪している形になっている。
しかし実際は、日本が施した善政を書きつられているので、反日の韓国や反日の日本人が読めば、許しがたいヘイト本になる。
勿論、百田尚樹も、この本が韓国人に受け入れられるとは思っていない。
この本は、タカリ体質の韓国が繰り返す、日本へのイチャモンへの反論書で、日本人への啓蒙が目的だ。
確かにこの本を読めば読むほど、韓国が嫌いになる。
中でも僕に印象的なのは、韓国の両班(ヤンパン)制度の不条理さを書いた部分だ。
両班は、李王朝時代の韓国で、貴族に続く支配者階級だが、全くダニみたいな存在で、一切生産面で貢献することはなかった。
ひたすら奢侈に勤め、庶民を迫害した、とんでもない連中が両班だ。
当然、韓国人からは、蛇蝎のように嫌われたはずだ。
百田尚樹は、この両班の反社会的な恐ろしさを、縷々書き連ねている。
だから、韓国を併合した日本が、この両班制度を廃止したことは、韓国人から感謝こそされ、恨まれることなどないと思われる。
ところが、現在のほとんど全ての韓国人は、「自分は両班の子孫」と言うらしい。
実際の両班は、当時の韓国の10%もいなかったはずなのに、大半の韓国人は、両班の末裔を名乗る。
ここに、今も韓国が育む、身分制度の残渣を見ることができる。
実は、質的には中国も同じだ。
今の中国は、共産党の治世下にあるので、身分制度などはあり得ないと思われている。
しかし現実の中国は、共産党員とその他では、明らかな身分差別がある。
昔の支配層が、中国共産党に変わっただけだ。
中華人民共和国以前の清朝までは、身分差別は至って当たり前だった。
今の中国で人気の長編中国ドラマをみると分かるが、ほとんどすべての物語は、昔の中国歴史で存在した王朝モノだ。
人品骨柄が満点で、眉目秀麗の絶対君主が中国皇帝で、美人皇后、美人妃たちと織り成す愛憎劇や権力闘争が延々と描かれる。
敵役もまた、生まれが高貴な中国の支配者階級出身で、高貴な一族同士が熾烈な殺し合いを繰り返し、これもまた生まれが高貴が美女たちが脇を固める。
中国の歴史がこんな個性的な連中によって作られてきたとも考えられるが、もう一方では、中国の歴史は。支配者階級の謀略と陰謀の繰り返しだったことを表している。
ドラマには、王侯や貴族に仕える奴婢も登場するが、これには狂言回しの役割で、人権など最初からゼロなので、仕事で失敗するとすぐに死刑処分を受ける。
日本から併合される以前の韓国には、人口の30%も奴隷がいた。
奴婢や奴婢はモノと一緒なので、王侯、貴族の気分次第で、罰を与えられたり、死を賜ったりするが、そのことに、何一つ、不満や疑問が呈されることはない。
中国でも、韓国でも、そんな時代がつい最近まで続いていたのだ。
日本にも、身分制度は存在した。
中国、韓国の皇族は、日本では天皇家で、貴族は武士階級か官僚だろう。
しかし日本の皇室は、権力を有している時でも、中国、韓国のような傍若無人な振舞いはやらないし、それは江戸時代の支配者、武士階級にも言える。
勿論、中には、腐敗した輩もいて、阿漕に民百姓から年貢を取り立てる物語もあるが、一般的には武士は「武士道」で、厳しく自分を律することが求まられていた。
有名な士農工商の身分制度にしても、江戸時代の後半はすっかり様子が変わり、むしろ商人が武士を凌ぐ力を有していた。
また日本には奴隷制度はなく、支配者がモノとして人身売買をすることもなかった。
近代以前の身分制度について、その善悪を問いただしても意味はない。
各国にそれぞれの歴史があり、それを乗り越えるための大変な苦労もあったが、韓国に関しては、自力で身分制度を正したわけではない。
将に他力本願だったので、両班が犯罪的存在だったとの認識がない。
だからこそ、「自分は両班の子孫」などち、平気でウソをつくのだろう。
中国は、現実が中国共産党支配の身分社会なので、清朝以前の宮中ドラマが大人気を博し、無批判に受け入れられる。
中国、韓国は、今も厳然と、身分差別社会が続いている。