近所を散歩中、玄関に「アベ政治を許さない」のプラカードを張り付けている家を見つけた。
デモ隊や、国会の採決の時に、野党が掲げている、例の見慣れたヤツだ。
僕は、この家のヒトの神経が理解できない。
恐らくは、共産党か立憲民主党左派の党員か、そのシンパなのだろう。
無論、思想信条は自由なので、「私はアベ政治に反対します」と広言することに、何一つ文句があるわけではない。
しかし、僕もその一人だが、近所にはこんな風に、安倍政治を批判する人だけが住んでいるわけではない。
むしろ選挙のたびに安倍政治を支持する人の方が多いから、野党は少数派でしかない。
自分の家の玄関に、反安倍の看板を掲げる「高邁な志」には、「どうぞご勝手に」しかないが、自分の立ち位置を明白にすることは、自分が少数派であることを宣言しているようなもので、俯瞰して見れば、世間を狭くしているのと同じだ。
自治会から「ご近所同士は助け合って」と呼びかけられても、政治的主張が真反対の人とは仲良くやれる自信はないし、ヤル気もない。
その昔、労働農民党員で、死後日本共産党員が認められた山本宣治は、「山宣独り孤塁を守る、だが僕は淋しくない、背後には多くの大衆が支持しているから……」と名演説をぶった。
この山宣が活躍していた時代のサヨク界隈では、前衛の共産党が先頭に立って革命の方向性を示せば、続いて大衆が必ず決起すると信じられていた。
しかし山宣没後90年が経過する間に、世界中の共産主義国家は消滅してしまった。
日本共産党も、1960年代までは一定の伸びを示していたが、今では長期低迷中となり、こんな幻想を持ち続けているのは、今なお共産主義を信奉する年老いた共産主義者とそのシンパたちだけだ。
共産党は。若者から完全のソッポを向かれていることが、選挙結果から判明している。
共産党の後に、陸続といるはずの大衆など、どこかへ消えてしまったのだ。
更に言えば、この人たちは安倍政治の何が気に入らないのかサッパリ分からない。
・安倍政権は戦争ができる国にしようとしている。
・安倍政権では、自由にモノが言えなくなる。
・安倍政権は云々侃々…….
諸々と感情的な安倍政治を否定する言葉が並ぶが、これは悪口雑言の類でしかなく、実は何一つ具体的な批判にはなっていない。
安倍政権は「戦争ができる国にしようとしている」とか「戦争への道を歩んでいる」については、実は60年安保闘争の時から、与党批判として野党が繰り返し主張してきたものだ。
しかし、60年安保闘争から、既に60年が経過した。
60年間も戦争への道を歩き続けたのなら、一度や二度は戦争をしただろうが、日本は戦争をしたことはない。
それでも尚、「戦争をしたがる」と言い募るのは、単なる妄想であり、イチャモンだ。
「自由にもが言えなくなる」と安倍政治を非難するが、その言葉を自由に発言していることが、既に自家撞着に陥っている。
二年以上に亘って印象操作を続けたモリカケ騒ぎでも、政権へのダメージは皆無で実質的に終了している。
次は「桜を見る会」の疑惑追及を騒いでいるが、これもまた早晩収束するに違いない。
何の具体策もなく「アベ政治を許さない」と大見えを切られても、支持者は増えない。
国会をさぼって審議拒否したかと思うと、訳の分からない理由で審議再開に同意する。
しかしやることは、政府の揚げ足取りに終始し、与党政治へは反対するばかりで、対案など皆無だ。
そんな反省もなく、またしても野党の野合が取り沙汰され始める。
大失敗した民主党政権への先祖返りに、何の魅力があると思っているのだろう。
むしろ、こんな野党の体たらくこそ、安倍政治が続いている大きな原因だ。