過去に輝かしい成功体験を持った人ほど、一緒に仕事する仲間として扱いにくい。
その成功が、煌びやかであればあるほど、その人はその体験に拘るからだ。
しかしその時の成功は、当事者は実力と思っていても、実は多くの幸運に恵まれていたことが多い。
そんな幸運が続くものではないし、環境が変われば、別のやり方を模索するべきだ。
ところが過去に成功体験を持った人は、自分には実力と運があるから、同じやり方で次もまた、同様の成果を上げることができると信じてしまう。
成功体験への拘りは、会社の仕事だけではない。
芸能界でも頻繁に起きている。
ビッグヒット作品に恵まれた人は、次もまた同じような作品を作る。
音楽でも映画でも、テレビドラマでも然りだ。
その結果、作品はマンネリ化してしまうが、それでも面白い、魅力的な作品は数えるほどしかない。
それでも当事者たちは、自分の作品はその数少ないものの一つだと信じ込みがちだ。
多くの人が既に飽き飽きしていても、作り手側だけは「これは面白い、素晴らしいから、必ずウケる」と勘違いしているのだ。
作家に関しては、三作目が勝負の分けれ目と言われる。
少々文才さえあれば、誰にもそれまでに様々な人生経験があるから、処女作ではそれなりに注目される作品を書くことが出来るものらしい。
二作目は、一作目を若干アレンジすれば、未だ読者の関心を惹きつけられる。
しかし三作目は、それまでとはガラリと変わった作品が求められ、ここから作者の実力がモロに試されると言うのだ。
1996年北海道テレビ制作の「水曜どうでしょう」は、マンネリ番組の典型だ。
このブログで何度か取り上げたが、この番組はローカルテレビ局の深夜に放送されていた超マイナーだったのに、口コミで「面白い」と評判になり、いつの間にか全国区人気番組になった。
そして、まだ学生で駆け出しだった主演の大泉洋を、今やテレビでも映画でも主役を張る人気スターに押し上げた。
実質的なリーダー、藤村忠寿は、単なる一介のサラリーマンの存在を逆手にとり、成功したが気取らないキャラとして、役者業、ユーチューバー業にも進出している。
また、大人気番組のプロデューサーとして講演までこなし、一種の文化人気取りだ。
彼らにとっては、将に「水曜どうでしょう」様々で、この番組のお陰で、業界の成功者の地位を手にした。
だから一旦は番組終了宣言をしても、ファンが待っているとか何とか、適当な理由をつけては、同じような番組を作り続けてしまう。
余りにも成功して全国区番組になり、自分たちも良い思いをしたものだから、今度は引き際が分からなくなったようだ。
そして番組終了後17年が過ぎた今年も、まるで昔の栄光に縋った続編を作った。
しかしその結果は、まるで散々な評価となっている。
この傾向は、既に2013年に製作された「初めてのアフリカ」で顕著に表れていた。
それまでのこの番組では、使いパシリ役として、苛められ、いじられキャラが定着していた大泉洋だが、時の経過と共に人気者になり、取扱要注意の重要人物を化していた。
これは当初は予定されていなかった状況であり、「水曜どうでしょう」のコンセプトからは外れてしまうし、それは昔からの「水曜どうでしょう」ファンには通じない。
新しい面白さを追求するには、プロデューサーにも出演者にも知恵がない。
結局この番組は、昔の成功体験そのままに、惰性で制作を続けるか、あるいはそれまでの栄光を捨てて、番組終了を宣言するしか方法はないのだが、彼らは前者を選択した。
人気絶頂の時に身を引くのは難しいが、何事も実は惜しまれているうちに去るのが華。
ましてや、少しでも人気に陰りが出たら、そこでジタバタ足搔くのではなく、見事な引き際を考えなければならない。
多くの偉人が晩節を汚すのもそうだが、成功体験からの脱却ほど難しいモノはない。