1月8日、カルロス・ゴーンがベイルートで、満を持した記者会見を行った。
この2時間40分にも及ぶ、カルロス・ゴーンの大演説を聞いて
・日産を食い物にし、私腹を肥やした悪辣経営者と思っていたが、実はそうではない。
・人品骨柄と、日産復活の辣腕振り、実績の素晴らしさは称賛されるべきだ。
・ゴーンが指摘する、旧態依然の日本の司法制度は、もはや国際的に通用しない。
・日本は国家として、一刻も早く司法制度改革に取り組むべきだ。
・ゴーンの逃亡は、疲弊しきった諸制度の矛盾を暴き出した、日本への鋭い警鐘だ。
と、心洗われた思いになった日本人は、果たしてどれほどいるのだろうか?
たまたま見ていたフジテレビのモーニングショーの中に、そんな稀有な存在の一人、三浦瑠麗がいた。
彼女は、ゴーンは現状の日本の司法制度に絶望し、この制度下では裁判を受けられないとの思いで脱走したと主張していた。
横にいた弁護士(名前は知らない)も、日本の司法制度が、いかに時代に遅れているかを力説していた。
長期間に亘る非人間的な取り調べが、正しい判決、判断になるとは思えないようだ。
だがちょっと待って欲しい!(朝日新聞が社説、天声人語で多用するフレーズギャグ)
ここは日本だ。
ゴーンが生活し、商売し、その罪を告発されたのは日本なのだ。
日本には日本の司法制度があり、そのことを前提に、ゴーンは仕事をするべきなのだ。
僕がバリ旅行をした時、雇ったガイドに最初に言われたのは、「この国ては、麻薬は即厳罰になるし、誰も助けられないので、絶対に手を出さないように」だった。
中国も然りだ。
イスラム圏では、麻薬犯罪は即死刑になるし、それも残虐極まりない石打ちの刑などが、未だに存在している。
しかし、他国を訪れ、あるいはその国で仕事するのなら、その国の司法制度を前提にするしかない。
「一歩」譲って(普通は百歩譲るが、僕の先輩は我が強く、いつも譲っても「一歩」だけだった)、今回ゴーンが主張したように、「やったのは自分だけではない」としても、それは情状酌量の余地はあっても、ゴーンの罪が消えるわけではない。
検察が一罰百戒でトップを罪に問い、その代わりに他の小物に司法取引を持ち掛けることはありうるからだ。
ゴーンが日本の司法制度を論うことは、問題のすり替えでしかないのだ。
今回の長々とした記者会見で注目されるのは、日本のメディア取材を規制したことだ。
朝日新聞、テレビ東京、小学館だけが許可され、ゴーンに批判的なメディアは会場に入れなかった。
フジテレビは、過去にゴーンと会見したキャスターの安藤優子を派遣する気合の入れ方だったが、あえなく門前払いを食らい、大恥を掻いている。
しかしゴーンが、逮捕事情に詳しい日本メディアを制限したのは決して偶然ではなく、今回の会見が欧米メディアの情緒に訴えるものでしかなかったからだ。
その一番の証拠が、「関係した日本の政府関係者の実名を挙げる」と事前予告されていたのが実施されなかったことに伺える。
ゴーンはその理由を、「レバノン政府と国民に迷惑をかけたくないから」と言った。
これは、ゴーンが全く根拠不明で出鱈目な情報しか持っていないか、もしくは政府関係者の実名を公表すれば、レバノン政府の逆鱗に触れるかのいずれかの理由からだ。
前者なら、ゴーンが力説していた、日本の官民一体となったクーデター説の根拠が崩れるし、後者なら、ゴーンは今後、レバノン政府の操り人形としてしか生きていけないことを意味する。
しかも、今のレバノン政情は不安定極まりなく、いつまでゴーンを庇護するのか分かったものではない。
ゴーンは、日産立て直しの業績を力説していたが、やったことは会社の金を着服した、コソ泥の大規模バージョンに過ぎない。
天網恢恢疎にして漏らさず。
日本には、「お天道様が見てござる」との倫理観がある。
見事に警備の目を掻い潜って脱走したように見えても、コソ泥に安寧の地などない。
ゴーンは、レバノンの政情不安と、国際警察の指名手配に怯える余生しか残されない。