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相模原市の「津久井やまゆり園」裁判について

1月8日は、カルロス・ゴーン記者会見とニュースがダブったが、相模原市の知的障碍者施設「津久井やまゆり園」入居者45名を殺傷した、植松聖被告の裁判があった。

 

45名殺傷、内19名を殺害しているのだから、史上最悪の殺人事件であり、被告は稀代の殺人魔だ。

しかもこの被告は、逮捕後も全く非を認めず、「意思疎通ができない知的障碍者は生きる資格がない」と主張し続けている。

事件の悲惨さだけでなく、犯行後の被告の態度もまた、常軌を逸しているのだ。

 

この裁判で被告は「皆様にお詫びします」と謝罪した後、小指を噛み切る、あるいは舌を噛むような仕草で暴れた結果、退廷処分となり、被告人不在で審議が打ち切られた。

判決には、被告人の精神鑑定が重要な基準になるので、被害者の家族からは「心身耗弱を装うパフォーマンス」との指摘もある。

今回の事件は、あまりに不条理で、且つ悪質極まりないので、精神鑑定で責任能力ありと判断されたら、死刑になる可能性が極めて高い。

 

僕は、こんな事件を起こす犯人が、真面な精神状態であるはずがないと思っている。

異常でもないごく普通の人間が、19名の人間を殺害し、26名を負傷させるなど、絶対にありえないからだ。

しかし裁判では、事件が悲惨であればあるほど、必ず丁寧な精神鑑定が行われ、その結果次第では、無罪判決もありうるのだ。

被害者家族が、被告は心身耗弱を装っていると不安視するのは、それを裁判官が認めると、被告が無座右になる恐れがあるからだ。

被害者やその家族にとっては、絶対に納得できないし許せないはずだが、精神異常で責任能力がないと判断されれば無罪になるのもまた、日本の司法制度なのだ。

 

逆に死刑判決がでたり、試験が執行されると、必ず「これで犯罪の背景が分からなくなった」との批判が出てくる。

先ず、裁判で死刑が確定すれば、半年以内に執行しなければならない時間的制約があり、法相はその任務を果たすべきだ。

ところが歴代の法相は、なかなか死刑執行を認めない。

それなりに自分の職務を果たす法相には、マスコミが「死刑を命じるとは怪しからん」と批判を浴びせる。

死刑は、臭い物に蓋をすることであり、真実の解明にはならないとの主張だ。

 

しかし事件の真実が明らかになれば、この手の異常者犯罪がなくなるとでも言うのか。

世の中には、様々意見の持ち主がいるし、様々な生き方がある。

植松聖のような極端な人生観を持つ人間は少ないが、絶対にセロではない。

そんな異常行動に走るヤツを、犯行前に見つけ出す方法なんてあるのだろうか。

仮に危険人物が特定されても、事前に隔離するなり監視すると、人権侵害になる。

 

ハッキリ言えば、異常者の犯行は防ぎようがない。

だからこそ、犯行後に二度と事件を事件を起こさないような、法的措置が必要になる。

それは事件の凶悪さによっては死刑執行であり、そうでなければ、生涯に亘って、社会から隔離するしかない。

こんな事件を二度と起こさないために、犯人を生かして反省させ、犯行の動機を知る必要があるなどは全くの詭弁だ。

植松聖を見ると、こんなヤツが隣にいることの恐ろしさを痛感せずにはいられない。