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フィクションの世界

NHKテレビを見ていたら、やたらと「麒麟がくる」の番宣が流された。

この番組が、1月18日に放送開始されるらしいから、関心を煽っていたのだろう。

主役は明智光秀なのは、その番宣だけで分かった。

 

明智光秀と言えば、主君、織田信長を本能寺で殺した、逆臣の代表として知られる。

織田信長豊臣秀吉が活躍する番組では、基本的に「時代の流れを読めない小心者の悪役」として描かれる。

しかしNHK大河ドラマでは、明智光秀側から見た物語なのだろう。

恐らくは、上司のパワハラに耐え難きを耐え、忍び難きを忍びながらも、最終的に主君暗殺への走らざるを得ない、自らの信念との葛藤が描かれると思われる。

 

歴史上の人物評価など、書く人、作る人の立ち位置、考え方次第で、どうとでも変わってしまう。

たまたま最近見た、中国歴史ドラマの「如懿伝」と「瓔珞」がそうだ。

中国歴史ドラマは、ほとんどの作品がNHK大河ドラマ以上の長丁場モノだ。

しかも大半は、歴史的に実在した王朝の皇帝と、その妃嬪たちの激しい権力争いが主なストーリーとなっている

「如懿伝」は全87話で制作費96憶円の大作だ。

「瓔珞」もまた、全70話で2018年香港視聴率№1になったが、内容が中国共産党の逆鱗に触れ放送中止になっている。

今の香港対中国共産党の、民主化を巡る争いの先駆けにもなった、曰く付き作品だ。

 

いずれも、時期も舞台も全く同じ。

中国清王朝時代で、六代皇帝、乾隆帝を巡る、皇后や妃の間で繰り返される、陰湿な足の引っ張り合いが延々と描かれている。

一応は歴史的事実に基づき、それをドラマ風に脚色したものなので、皇帝、乾隆帝の即位過程や、最初の皇后、二番目の皇后などの登場人物は、両作品ともほぼ同じだ。

ところが、その人物設定が全く違う。

「如懿伝」の方は、主役の如懿・燗妃は、性格円満、非の打ち所がない女性だが、そのライバルの皇后・富察は、一見しとやかさを装いながら、実はライバルを潰すために策を巡らす悪女として描かれている。

ところが「瓔珞」になると全く逆で、富察は完全無欠な性格の皇后で、常に瓔珞を助ける数少ない理解者だが、燗妃は腹黒の策士となっている。

実際には、両方とも誠実さなど欠片もないような人物だったのかもしれないが、物語に描かれるとこうなってしまう。

 

先の、明智光秀の歴史評価と一緒だ。

明智光秀を良く描こうとすれば、織田信長豊臣秀吉に欠陥があったと見ざるを得ないし、逆に逆臣とすれば、信長は悲劇の権力者になるし、秀吉は主の敵を討ったちっやく溢れる謙臣になる。

しかし今となっては、本当のところは、誰にも分からない。

 

いずれにしても、歴史は時の為政者によって、都合よく書き換えられる。

同様に、歴史小説やドラマもまた、作者の主観でどうとでも描かれる。

だから我々は、テレビや映画の人物像を信用するべきではない。

 

作品を読み終わったり見終わった次の瞬間には、全てを忘れてしまうほどで丁度良い。