僕は、自分自身を用心深い性格だと思っている。
今までも乾坤一擲の勝負をするのなら、勝率100%の確信がなければ手を出さない。
こう言うと、如何にも勝ち負けにこだわる勝負師然としてくるが、実は今まで、そんなのるかそるかの大緊張場面には、ほとんど遭遇したことはない。
実際には、人生を賭けた大勝負などは、普通の素人にはありえない仮定の話だ。
会社員を職業とした人間に、そんな大勝負などはまずありえないし、あっても、本人は大事と思っていても、他人から見れば、まるで当たり前の悩みでしかないモノだ。
実際に僕も、真剣に悩んだ経験は、今まで数回しか覚えがない。
・その最初は大学受験。
・次は就職先選び。
・続いて結婚。
・自宅の購入。
・定年後の生活設計。
と、これが最大テーマだったのだから、そこらへんに転がっていて、誰もが経験するような、まるで平凡な人生だった。
ただ、悩みそのものはありふれたモノだが、そこには結構、本人の性格が反映される。
こんな時の僕は、実は用心深い!
と言えば少々カッコいいが、実はかなり「臆病」に決断する傾向が強い。
一番分かりやすい例が、最初の悩みとなった受験の時だ。
僕は自分の性格から、浪人生活にはとても耐えきれないと決めつけていたので、絶対に高望みはしなかった。
必ず合格する学校を選んだ積りだったので、試験の時の緊張など全くない。
後に冷静に振り返れば、何でそこまで合格の自信があったのか不明なのだが、とにかく自信満々で臨み、首尾よく合格した。
当時の勤め先に関しては、年功序列と終身雇用が原則だったので、その後の人生にとって、どこに合格するかはかなり重要な選択だった。
しかし、贅沢を言えば切りがないし、両親が喜んでくれそうな会社ならどこでもいいくらいの感覚で仕事先を探し、その後、40年以上も世話になる会社にありついた。
結婚は、プロポーズした時に断られたらショックだろうから、この人ならきっとOKしてくれると信じられる人に決めた。
それが、今の妻だ。
自宅は、我が家の経理を全面的に把握していた妻のゴーサインが出たので、思い切ってローンを組んで購入し、定年前に完済することができたが、これも常識の範囲内だ。
定年後は、妻が同居を許してくれたので、年金生活で糊口をしのいでいる。
いずれも、成功確率は成功50%よりも遥かに高いと自信があったものだが、小市民にとっては失敗が許されないギャンブルとは、この程度のモノでしかない。
ところが、個人経営の会社社長や、会社とは言えオーナー経営などでは、夜も眠れないほど悩み抜いた結論を要求される場面があるらしい。
そんな苦労に比べれば、僕が勝負手を思ってはなったものなど、果たして不安と言えるのか疑わしいレベルでしかない。
ハイリスク・ハイリターン、ローリスク・ローリターンとはよく言ったものだ。
実際に、そんな心理的プレッシャーに負けなかった人だけが、事業の成功者になり、人から尊敬される立場になる。
僕のような、一生を振り返っても、「血の小便が出るほどの悩み」などから無縁だった人間は、それなりの成功しか与えられない。
いつも言う結論だが、「人生は最後はチャラになる」ように仕組まれている。