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野村克也賛歌!と野村克也の功「罪」

プロ野球球史に残る名選手、野村克也が84歳で逝去した。

謹んでご冥福を祈ります。

 

野村克也と言えば、すぐに沙知代夫人との結婚が話題になる。

野球の世界では大変な記録保持者なのに、夫婦関係では、全く女房にアタマが上がらない、だらしない亭主。

野村は、嬉々として、そんな役柄を演じ続けた。

 

印象的だったのは、1996年衆議院選挙出馬の時の、沙知代夫人の経歴詐称問題だ。

コロンビア大学留学などと、過去を煌びやかに飾っていたが、これがまるで嘘。

結果は繰り上げ当選を辞退することとなり、沙知代夫人の政治家への道は閉ざされた。

後に野村は、「サッチーが僕に話していた経歴は、全部ウソだった」と笑い飛ばした。

次に、同じく沙知代夫人の脱税事件だ。

先夫との間の息子に告発された巨額脱税疑惑は、沙知代夫人の逮捕と野村の阪神監督解任になったが、この時も野村は、「嫁の問題で監督を二度もクビになった」と笑い話に昇華している。

 

沙知代夫人は、毀誉褒貶の激しい人物だったようだ。

と言うよりも、多くの人から反発を招き易い、自己顕示欲の塊のような人物に見える。

彼女が監督をしていた少年野球のチームでも、他選手の親からは強く反発されていた。

しかし野村と沙知代夫人の一粒種、克則選手の評判は、どこで聞いても素晴らしい。

「あの母親の教育で、こんなにイイ子が育つのか」と揶揄されたほどだ。

出来の良い息子や、球史に残る名選手から、あれほど敬愛されているのだから、沙知代夫人もただモノではないのだろう。

 

野球に関しては、野村の功績は枚挙の暇がない。

選手としての実績も、ホームラン数、打率、打点の全てで超一流の成績を残している。

同時に活躍して、華やかな人気に包まれていた長嶋茂雄王貞治と比較して、「長嶋と王がヒマワリなら、ワシは月見草」とは、野村の強烈な自負心の表れだ。

その後の指導者としての成績は、選手時代をも凌ぐほどの大成功を収めている。

優勝請負人、野村再生工場、野村ID野球

野村の実績を表現する褒め言葉は、数限りなく多い。

野村逝去の報に、多くの名選手が感謝の言葉を表しているところからも、野村の成し遂げた成果の素晴らしさが分かる。

野村が、日本野球界に果たした功績は、過去のどれほどの名選手、名監督に勝ることはあっても、決して劣ることはない。

 

敢えて、野村の功罪の「罪」の部分を言えば、それは、選手で居続けることに拘り続けたために、引退が45歳と遅れたことだ。

これ自体は、「ボロボロになってもやる」「モウ、いらないと言われるまでやる」との野村美学を褒めちぎる人たちも多い。

確かに、そんな美学は、日本人にウケる。

規模も社会的存在価値も、野村とは雲泥以上の差がある僕自身も、「生涯一営業マン」と自称していた。

 

しかし、野村が発揮した指導者としての才能は、半端なものではなかった。

あれほどの野球知識や思考方法は、それまでの野球バカ集団の中では、飛びぬけて異彩を放っている。

野村の選手としての40歳代は、年寄りにしては良く頑張っているとの評価はあっても、記録として残っているものは少ない。

もう少し早い段階で指導者の道へ進んでいたら、日本プロ野球の知的発展が更に大きく進んだのではないだろうか。

 

プロ野球のテレビ観戦者にとっては、野村スコープの登場は衝撃だった。

ホームベースの上に、九分割のスコープを置いて、投手の配球や打者の狙いを理論的に、且つ正確に予想していく。

そこには、それまでの伝統的な経験、カン、度胸の名人芸感性野球ではなく、データ分析に裏付けられた科学的推理があった。

改めて、野村克也大選手、名監督に、哀悼の意を表したい。