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「不倫」論

ゲーノー界は無節操、無分別の社会だから、一般的な倫理観を求めても無理だ。

そんなことを実感させる、不倫事件が続発している。

 

最新の不倫話題は、喜多村緑郎鈴木杏樹だ。

ワイドショーの似非正義漢、坂上忍が、「東出昌大唐田えりかの不倫で、世間がこれほど怒っているのに、何でこのタイミングで?」と力み返っていた。

しかし喜多川緑郎や鈴木杏樹は、別に他人の不倫に影響されたわけではない。

勝手にお互いを好きになり、オンナは独身だったが、オトコ側には妻がいただけだ。

 

石田純一と言うゲーノー人がいる。

トレンディ俳優と称されたのが唯一の勲章で、実は演技力ゼロ、見識ゼロのオトコだ。

舛添要一都知事辞職に伴い、分不相応にも「野党統一候補なら」と東京都時事選出馬を目指すが、ヒダリ巻き連中からもお呼びが掛からず、立候補を断念した。

その政治主張は、「平和日本を守ろう」と平和、平和と連呼すれば自然と平和になるはずと思い込む、その昔の社会党並みの単純平和主義でしかなかった。

当然、あの出来の悪い政治家集団の野党からでさえ相手にされない、基本的にはアンポンタンのノータリンだ。

 

しかしこの石田純一は、芸歴よりも政治的発言よりも、「不倫は文化だ」とのコメントで、一時期は不倫評論家など煽てられたことがあるオトコだ。

後日明らかになったのは、石田の発言は「不倫から文化が生まれることもある」との意味だったらしいが、一般的には石田が不倫を肯定したと受け止められ、大バッシングを浴びた。

ところが実際には、石田の言う通り、不倫を題材にした文学作品はごまんとあるのだ。

また多くの文士は、積極的に自作を地で行く不倫に走り、挙句は心中をしたヤツもいるのだから、石田の「不倫から文化が生まれている」のは事実なのだ。

バカ俳優と思っていた石田純一も、こと不倫となると、自らの経験と実績に基づく見識があるようだ。

 

僕は今までの人生で、不倫に関しては、そのチャンスすらなかった。

仕事で現役時代でも皆無だったのだから、リタイアした後では「貴方様なら不倫しても構いません」と言い寄ってくる殊勝な女性がいるはずがない。

また僕自身も、もはや「久米の仙人」状態なので、「全てを投げ打ってでも」と、老いらくの恋に燃える女性に巡り合う可能性もゼロだ。

 

しかし僕は、自分が無関係だからと言って、不倫を否定することはない。

恋愛関係に陥った片方、もしくは両方に配偶者がいるからこそ、不倫の愛になる。

しかし、恋愛は理屈ではない。

好きになってしまい、どうにも抑えが利かなくなった相手に、配偶者がいても、それは仕方がないではないか。

そこでフト理性が戻り、相手を諦めてしまったら、不倫関係にはならない。

しかし悲しいことに、そこで自分の感情をコントロールできなければ、世間的には「あの人は不倫に走った」と言われてしまう。

その本人にすれば、どうしようもなく好きで好きで堪らなくなった人を、先に好きになった人がいたという理由で、諦めきれない人だっているだろう。

何が何でも好きで仕方がないのなら、全てを投げ打つ覚悟さえあれば、恋愛街道まっしぐらでも構わないはずだ。

これは好きになった順番の問題で、先の配偶者に後れを取っただけなので、絶対に諦めきれない人がいてもおかしくはない。

無論その関係は、多くの人から謗られるし、少なくともその祝福されることもない。

 

「それでも構わないほど、私はこの人を好きになった」のなら、後は自己責任の世界。

それまでの相方に、誠心誠意の謝罪と賠償をした上で、二人して新しい恋に生きればいいのではと思う。

実際に「不倫は怪しからん」と騒いでいるのは、当事者とは全く無関係な連中ばかりで、いわば損得関係は全然ないのに、妙な正義感を振りかざしているだけだ。

不倫騒動で、すっかりオトコを下げた東出昌大、自ら運転して積極的にラブホテル通いをバラされた鈴木杏樹は、世間の目を気にして逃げ回っている。

いっそ「これは私個人の問題ですので、皆さんには何の迷惑もかけません」と堂々と開き直れば、端から面白半分の冷やかし連中は、二の句が継げないはずだ。