昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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拘りの人生

我が家では、比較的に外食することが多い。

 

一年365日、毎日の食事準備に煩わされる妻の苦労を、少しでも緩和したいとの、オトコの義侠心からだ。

実際に旅館などに宿泊した時の、上げ膳据え膳サービスは、妻にとっては、この上ない気分転換になるらしい。

そこまでの散財は、そうは回数を熟せないが、軽い外食程度なら経済的負担も小さい。

それで、食事の準備と後片付けと言う、妻の心理的、肉体的負担が減れば、費用対効果を考えても安い投資だ。

 

外食となると、おおかた行きつけは、イタ飯、蕎麦屋、ラーメン屋の麺類が多い。

これは、僕が大好物だからだ。

どれも、大して高価ではないなどの、シミッタレ根性からではない!(キッパリ!)

各々にお気に入りの店があるので、飽きが来ないように、偏りなく満遍なく、通っている。

 

特筆すべきは、僕がその店々で注文する料理は、いつも同じだという事だ。

どの店でも、毎回、同じものを食べ続けるのだ。

妻も半ば呆れて、「たまには違ったものを食べれば」と言うが、僕は習性として、最初に食べて美味いと思ったものしか注文しない。

これが繰り返されるものだから、店の方も、「いつものデスネ」と、顔を見ただけで注文が分かってくる。

 

これが、小市民の細やかな拘りだ。 

国定忠治の子分「板割りの浅太郎」を模して、僕は「コダワリの浅太郎」と自称している。

 

我が家の近くにスパゲティ店があり、ずいぶんと贔屓にしていた。

スパゲティ自慢の素人オヤジが始めたこの店は、注文したものが揃うまで30分以上もかかる「武家の商法」にも拘らず、10年以上は続いた。

その間通い詰めた僕が注文したのは、「ボンゴレスパゲッティ」だけ。

他の種類には、目もくれなかった。

店のオヤジからは、「作り手にとっては、味が少しでも変わるとすぐにバレると思うので気が抜けない」などと、褒め言葉なのか皮肉なのか分からない評価を貰った。

が、勿論本人には、そんな高邁な考えはない。

ただ、気に入ったから食べ続けただけだ。

 

蕎麦に関しては、僕は世界一と確信している、近所の店だけに通う。

僕は、「世界一の蕎麦の味」を満喫するのは、天ぷらも海苔も不要で、ただ蕎麦だけを食べればよいと信じている。

だからそこでは、常に決まって「三枚重ねせいろ蕎麦」だけを注文する。

女主人もすっかり分かっているので、「奥さんは?」と、妻の分しか注文を取らない。

この店の難点は、他に比べ、少々コストが嵩むことだ。

蕎麦は、うどんやラーメンに比べると、どうしても出費が大きくなる。

それでも、蕎麦を食べ終わり、用意された蕎麦湯を飲めば満腹になり、至福の気分に浸ることができる。

 

うどんは、学生時代から「素うどん」しか食べなかった。

友人たちは「貧乏くさいヤツ」と小馬鹿にされたが、さすがにうどん屋は「通の人は素うどんが一番好き」と分かっていてくれた。 

 

ラーメンは、これも世界一のラーメンと思っていた店が、ここに来て閉店したので、現在の行きつけは二店に減ってしまった。

我が家の近所にもラーメン屋は数多くあるが、僕が通うのはこの二店だけで、他の店には全く目もくれない。

その昔は、他のラーメン店にも出かけて食べ比べをした結果、旨いと思い、食べ慣れた味は、今やこの二店だけになったものだ。

ここでもまた、注文するのは毎回同じ種類。

 

こんな僕の行状を、妻は全く別の視点から見ている。

「あなたは、気に入ったら絶対に浮気をしないから、その点は安心」らしい。

世間でモテモテの夫に、知らぬは妻ばかり也!

と、陰で大見えを切りたいものだが、現実は「女房が妬くほど亭主モテもせず」どころか、「女房も妬かず、亭主もモテず」状態だ。