苦しまずに、コロリと逝きたい。
ピンピンコロリこそ、理想の死に方と確信している。
そして、安楽死は存在する。
僕は、経験者から聞いているので、絶対に間違いはない。
2007年4月、僕の先輩はよみうりゴルフ倶楽部で仕事仲間とゴルフに興じていた。
後日談で、その日は「いつもより汗の量が若干多いかな」とは思ったらしいが、それでも何の不安感もなく、元気にインからスタート。
スターとして3番目、12番ホールのパー3。
ティーショットの後、カートで下り坂を降りていく時、将に映画やテレビのシーンのように、先輩の首がカクンと落ち、床に崩れ落ちたらしい。
慌てて同伴者が声をかけるが、既に意識はない。
そのままカートに乗せて、次のパー4、パー5を突っ切って、茶店に辿り着く。
ここから先輩には、偶然にも幸運が重なった。
先ず茶店にAEDが設備されていた。
しかもキャディが、一か月前にAED取り扱いのレッスンを受けたばかりだった。
茶店が道路脇にあり、救急車が直ぐに駆けつけてきた。
担ぎ込まれた病院の休日担当医が、偶然にも心臓外科医だった。
実際に手術をした医者は、日本でも指折りの心臓外科の名医だった。
実に適切な応急措置が施された先輩は、病院に担ぎ込まれた三日後、ベッドに横たわりながら意識を回復した。
「ここはどこだ?」が、死の淵から生還した先輩が発した第一声だったらしい。
生き返った先輩は、「ゴルフ場では何の痛みもなく、まるで眠るように気を失い、気が付いたらベッドで寝ていた」と言う。
そして、「あのまま意識が戻らなければ、間違いなく安楽死していた」のだから、安楽死は存在すると言い切る。
これを聞いて以降、僕は、心臓病でポックリ逝くのも悪くないと思い続けていた。
そんな僕に、心臓疾患が見つかったのは一昨年6月、一年八か月ほど前だ。
その時の担当医が頼りないし、カテーテル手術には後遺症もありうると聞いたので、手術を嫌がったが、四か月後に担当医が変わり、少しはマシになったし、家族からも勧められたので手術に踏み切った。
結果は不安だった後遺症もなく、一年後の検査入院も無事に済み、マァ日常生活には全く支障がなくなってきた。
それでも、昔のような無理は利かない。
やはり五体満足ではないので、いつ何時、お迎えが来ないとも限らない。
そんな時は、ピンピンコロリが夢なので、先般、担当医に「何とか苦しまずに死ぬ方法はないモノか?」と尋ねてみた。
すると、案の定、と言うか、医者の返事は冷たかった。
「今時は医療が進んでいるので、そうは簡単には死ねませんヨ」だと。
確かに昔なら、食事が取れなくなると体力がなくなるので、自然死していた。
しかし現在は、点滴さえしていれば、本人が苦しんでいようと楽だろうと、かなりの期間、生命だけは維持される。
体のあちこちに故障が発生しても、切った貼った縫ったの手術をすれば、簡単にお陀仏とはならない。
僕には、名馬テンポイントの記憶が強くある。
レース中に骨折したテンポイントは、普通なら即刻安楽死処分となるはずだが、稀代の人気馬だったことが災いした。
「テンポイントを生かして」とのファンの声が殺到し、馬主もまた、何とか生かす術はないかと足搔き始めた。
骨折した足への負担をなくすために、テンポイントを吊るしながら治療を続けたが、無論そんな方法が長続きするはずはない。
結果は、43日後に死亡することになったが、この間に500㎏以上あった堂々たる体躯は、300㎏にま減ってしまった。
足を骨折し、走ることが不可能になったテンポイントにしてみれば迷惑な話だが、人間の勝手なわがままで、苦しみ抜いた一か月半だった。
こんな死にざまは、御免蒙る。
別の先輩は、「自分の名前か分からなくなったら、延命措置はしないように」と、尊厳死を家族に頼んでいるらしい。
どの時点を以て、尊厳死に踏み切るのかは、実に難しい。
だから先輩は、具体的に「自分の名前が分からなくなった時」と特定したらしい。
自分の意識がしっかりしている時に、具体的な指標を明示して自ら尊厳死を選択すれば、家族の辛い思いが避けられるとの親切心だ。
死ぬことは、生きることと同様に難しい。
人間にとって、最後の最後の大難問が、どんな死に方をするかなのは、悲しい現実だ。
死は誰にも訪れるが、僕もまた、死ぬことの現実味が着実に近づいてきている。
家族にも、はたまた親戚縁者にも、誰にも迷惑をかけない死に方を望んでいるが、果たして思い通りになるのか、分からないのが悩ましい。