無観客の相撲中継を見ていたら、突然臨時ニュースのテロップが流れた。
「春のセンバツ高校野球大会が中止になった」らしい。
当初はこちらも、無観客で試合を強行する積りだったようだが、主催者の合意が得られなかったと言う。
現在は、武漢肺炎のパンデミックを防ぐためなら、「やれることは何でも全部やる」のが日本人に共有された認識なので、中止はやむを得ないし、ごく当然の決定だと思う。
それにしても、他のあらゆる催し物が軒並み中止されている中で、高校野球大会中止決定程度が、臨時ニュースで流すような内容なのか?
こんな場合には、必ず情緒的、感情的な反対意見が出てくる。
曰く、
・純粋な球児が可哀そう
・ここでプレイすることが彼らの夢だったのに
・何とかやれる方法はないのか?
しかし、敢えて嫌われることを覚悟して言えば、「高が野球如きと、日本の国難と同じ土俵で考えるな」と思う。
そもそも、純粋な球児とは、いったい誰のことなのか?
野球の有名高校や有力高校は、全国にスカウト網を張り廻らせ青田買いに走り、有望な中学生を探し回っている。
こんな選手たちは、高校では授業の大半を免除され、ほぼ食費不要の合宿住まいで、一日中野球の練習に明け暮れている。
見方によってはタコ部屋に監禁され、働かされ続ける労務者とも言える。
がそれでも、高校野球の球児は、アマチュアとは名ばかりで、実質は所属する高校に上げ膳据え膳で雇われている、「プロフェッショナルな高校野球プレイヤー」だ。
純真とか純粋な球児などは、主催者の新聞社が作り上げたフェイクイメージだ。
また選手の方も、晴れ舞台の甲子園に行くには、どこの地域が一番可能性があるかを、実に打算的に計算して、志望高校を決める、
沖縄と鳥取の予選数が一番少ないとなると、全国から有望な中学生が集結するので、甲子園に出場しても、地元出身選手など全くいないことが多発する。
彼らにとっては、甲子園出場は、自分の商品価値を高める一番の手段であり、そこで大活躍することがプロ野球選手への登竜門となっている。
この傾向は、高校球児だけのモノではない。
学校が甲子園で名を売れば一躍有名高校となり、知名度アップに比例して受験生も増え、少子化の中でも勝ち残り高校となっていく。
甲子園は、高校にとっても球児にとっても、文字通りのウィンウィン関係で、一番オイシイ晴れ舞台なのだ。
いずれも、新聞社にとっては、安上がりで効果が上がる販促手段だから、そうは簡単に中止にできない。
純真どころか、あらゆる面で計算尽くしの、甲子園大会なのだ。
今回の中止決定も、主催者が無観客試合に同意しなかったからと言われると、やはり商売、ビジネス優先の決定と思わざるを得ないのだ。
確かに、この大会のためにあらゆる犠牲を払って練習してきた高校生の努力が、無に帰すのは気の毒な気はする。
が、繰り返すが、高が野球だ。
大会を強行した結果、武漢肺炎患者が発生したら、言い訳ができないではないか。
健康最優先の判断が当たり前なので、情緒的な同情など聞く必要はない。