昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露!無礼千万なコメントは削除。

義父の思い出

僕は自分の両親を、大変尊敬している、

実家が貧乏だったので、父は小学校を卒業するとすぐに丁稚奉公に行かされたらしい。

しかし根が真面目で、暇を見つけては勉学に励み、学歴が全くないのに、警察官の試験に合格したり、財閥系企業に就職したりして定年を迎えた。

しかし末っ子の僕が未だ小学生だったので、何某かの手段で生活の糧を得なければならない。

父は、好きだった法律を更に猛勉強して、当時でも難関だった司法書士の試験に合格、その後に行政書士不動産鑑定士の資格も得て、家族を養った。

母は、夢追い人だった父を支え続けたが、子供の教育には殊の外熱心だった。

僕が大学に合格した時に、涙を浮かべながら「ありがとう」とお礼を言って喜んでくれたのは、僕の生涯の宝物だ。

 

縁あって結婚した妻の父親、つまり僕の義父もまた、実にユニークなキャラクターの持ち主だった。

義父は元地方武士だった家庭に生まれ、小さい頃は裕福な生活を送っていたらしい。

ところが早期に父親が病死し、寡婦となった母親が女手一つで育てていたものの、義父が新制中学生の時に、この母親まで病死してしまった。

兄弟六人が残されたのだが、全員が子供なのでワルイ連中に騙されて、財産の全てを召し上げられてしまった。

自棄になった義父は、新制中学を中退し、手に職をつけて生きる道を選び、トラックの運転手になったが、そこに赤紙召集令状が来た。

義父は輜重兵としてスマトラ諸島に出兵したが、戦争の悲惨さをは無縁だったらしい。

終戦後も運転手を続けていたが、地方公務員試験に合格し、消防署勤務となった。

そこから地道に試験合格を繰り返し、最後は地方消防署長にまで上り詰めた人だ。

 

ただ、若かりし頃に騙されたために、家族以外の人間を信用しない。

また昔気質で、自分の学歴がなくても出世したので、「実力さえあれば」と、子供たちへの教育も熱心ではなかった。

妻に対しても「オンナが大学に行くと理屈ばかり言うようになるから、勉強などしなくて良い」と、早く結婚するように諭していたらしい。

妻が僕との結婚を決めた原因の一つに、義父からのこんな圧力があったのなら、僕は義父に感謝しなければならない。

 

また様々な苦労をしてきたので、利己主張が激しい。

その為、些細なことで知人、友人と言い争いになり、そのまま疎遠になってしまうことを繰り返していた。 

思想的には典型的なミギ寄り人間で、地元の有力保守派議員の後援会に所属していた。

そんな義父が、例え一時期とはいえヒダリ巻き思想に被れた娘婿と、大事な一人娘の結婚を、どんな思いで許したか気にはなったが、聞く勇気はなかった。

後に妻に聞くと、「彼はサヨクではなく右翼だ」と喝破していたらしいが、何がその判断基準なのかは知らない。

 

また義父は、親と子供の間柄についても、封建時代のような考えに凝固まっていた。

長男は親の遺産の大半を相続する代わりに、最後まで親の面倒を見なければならないと、頑なに信じていた。

ところが、一人息子の長男の嫁は、そんな古い価値観は持っていない。

結婚しても義父母とは別居だったし、めったに婿殿の家にも来ない。

勿論何時まで経っても、同居などは言い出さない。

義父はそれが不満で、ことあるごとに僕に愚痴をこぼしていた。

 

丁度その頃、我が家を新築したが、一階の和室は全く利用されていなかった。

義父が長男の嫁に対していつも悲憤慷慨しているので、僕は「嫌な息子嫁より娘と一緒の方が気楽だから、我が家に来たらどうですか」と提案した。

すると途端に、義父の表情が変わった、

そして慌てたように話題を変えたので、僕はマズいことを言ったのかと思ったほどだ。

その話はそれっきりになり、僕も自分が言ったことを忘れていたが、後に義母から「お父さんは凄く喜んで、知り合い中に言いふらしている」と聞いた。

他人を信用しなかった義父だが、これ以来「娘婿は信用できる」」と思ったらしい。

僕は義父母と同居する気でいたのだが、実際は義父は、「それは長男の役目」との固定観念から抜け出せなかった。

 

手先が器用で、本当は芸術家になりたかったらしく、家には義父が描いた絵画や粘土細工が多数あった。

しかしその全ては、素人にしては上出来だが、実は有名作家の模造品ばかり。

芸術は摸造から始まると言われるが、死ぬ直前までの義父の創作活動は全てが摸造だったので、芸術家に必須のオリジナリティはなかったようだ。

 またどう贔屓目で観ても、ユーモアのセンスはなかった。

しかし自分が面白いと思った話題は、チャンスを見つけて何度も何度も繰り返す。

家族からは「百辺聞いた、千辺聞いた」と呆れられるが、本人はどこ吹く風と、飽きもせずに同じ話で笑いを取ろうとしていた。

 

義父は、90歳を目前に、肺がんで死んだ。

僕は突然義父の声が出なくなったことは知らされていたが、そんなに重篤だとは思わず、海外出張中に訃報を聞いた。

ヤンチャで頑固で、喧嘩っ早かった義父なので、生涯友達は少なかった。

だが僕は、生一本で一直線、自分が正しいと思えば

誰に対しても絶対に妥協しない、そんな義父の個性が好きだった。