退屈講座の第二弾!
授業 史上最悪の国家リーダーは誰か?
副題 毛沢東とは何者か?
史上最悪のリーダーに、ヒトラーを挙げる人が多い。
しかしヒトラーなんか、世界史的暴君リーダーレースでは、スターリンにも及ばない、精々関脇止まりだ。
何と言っても、毛沢東こそ断トツの大横綱で、その罪の重さは他の追随を許さない。
また国際的に情報が共有される現代以降では、もはや毛沢東以上(以下?)の残虐リーダーの存在など許されるわけがないので、ある意味、不世出のリーダーでもある。
何せ、毛沢東に殺された自国民は、一億人に近い数千万人と言われている。
大関クラスのスターリンでさえ、殺害したロシア人は2千万人らしいから、毛沢東犯罪の規模の大きさが分かる。
因みに、やはり中国の暴君、秦の始皇帝の時代は、始皇帝時代の基礎を作った功労者の一人、白起が長平の戦いで生き埋めにした敵国、趙の国民は40万人。
白起はこのことに、終生罪悪感を持ち続けたと言うくらいだから、やはり毛沢東に比べると話にならないほど小粒だ。
毛沢東は、国家リーダーとして、空前にして絶後の犯罪者なのだ。
ところがこの毛沢東だが、中国で毛沢東派の四人組が失脚するまでは神様扱いだった。
中国で共産党が、政権を奪ったのは1949年。
ロシア革命に32年遅れて、世界で二番目の共産主義国家が誕生したことになるのだが、こちらは人口10憶を超える巨大国家だ。
当然、ロシア革命並みに世界史的インパクトも大きく、ソ連、中国に続いて、世界中がドミノ倒しで共産主義化されると信じた連中も多い。
中国の農民や貧民を、貧しさから解放し、平等社会を作った毛沢東は、稀代の英雄的革命家と持ち上げられ、中国史上、最も中国人民に敬愛された皇帝となった。
ところが、実際に毛沢東がやったことは、失政続きだった。
人民公社の破綻、大躍進政策の失敗に始まり、やること成すこと出鱈目ばかり。
一言で言えば、毛沢東は野伏り、野盗の頭目でしかなく、ゲリラ戦は得意だったが、国家運営に関しては素人以下の知識しかなかった。
それが一気に神様にまで祭り上げられ、しかも本人の気質は猜疑心の塊だったので、共産党内の政敵を次々と殺し始めた。
それは悉く、毛沢東自身の誤った国家運営を質した連中であり、謂わば新生中国にとって、不可欠の人材ばかりだった。
そこまで保身しても、毛沢東の失政は隠しようがないレベルで、余りの程度の酷さに共産党内で批判が噴出し、とうとう共産党の実権を副主席の劉少奇に奪われてしまった。
しかしここからが、悪辣リーダーの真骨頂で、追い込まれた毛沢東が起死回生策として打ち出したのが、紅衛兵を利用した文化大革命の発動だ。
無垢で無知、幼気な少年を使うのは独裁者の専売特許で、ヒトラーのヒトラーユーゲント、ポル・ポトやイスラム国の少年兵とか、度々歴史に登場するが、毛沢東の紅衛兵は規模の大きさと言い、その残虐性と言い、他を圧倒している。
文化大革命の実態は、幾多の大失敗にも懲りず、共産主義革命の永続性を求めた毛沢東一派と、経済優先の実務派の内戦状態だった。
この時の紅衛兵の残虐行為は、現代中国が蒙った最大の悲劇だが、兎にも角にも、毛沢東は非人道的行為を連発して内戦に勝利した。
劉少奇を始め、この文化大革命で殺された毛沢東の反対派は、2千万人とも4千万人と言われるほど、同士討ちの大虐殺だったのだ。
この時、紅衛兵が使った「造反有理」の言葉は世界的流行語となり、世界中に毛沢東支持勢力が台頭した。
日本でも、いつも中国ベッタリでお馴染みの朝日新聞が、当時の広岡知男社長自ら、一面トップで中国礼賛の提灯記事を書いたほどだ。
他にも、この文化大革命時の毛沢東を褒めちぎり、後に沈黙を余儀なくされた、先の読めない評論家連中は数多いる。
余談だが、あの司馬遼太郎でさえ、最初は文化大革命を肯定的にとらえていた。
何時までも革命を夢見ている毛沢東こそ、真の共産主義者と幻想を持たれたからだ。
また何時でもどこでも人民服しか着用せず、その風貌もいつまでも村夫子然としていたことから、毛沢東は人品骨柄にも優れていると思い違いした連中も多い。
毛沢東だけでなく、中国の皇帝や指導層にとっては、人民の人命など、いくらでも補充が利く虫けら以下で、どうでもいい代物でしかない。
だから、いくら多数の死者が出ても、委細構わず兵士に突撃命令を下し続ける。
殺しても殺しても、雲霞の如く湧き上がり攻撃してくる中国兵を相手に、精神に異常をきたす国連軍兵士も多かったと言われる。
「もしもアメリカと戦わば」と聞かれた毛沢東が、「3億人死ねばアメリカ人はゼロになるが、中国は10億人以上が残る」と答えたのは、人間を単なる数字としか見ない毛沢東思想を良く表している。
毛沢東にとっては、人命など鴻毛のように軽いモノでしかないのだが、これが共産主義思想が必然的に流れ着く、成れの果てなのだ。
実際に鄧小平時代でも人命軽視は続き、ベトナム対中国の中越戦争で、人民解放軍兵士に地雷原を歩かせ、人命で地雷を爆破した後に、戦車でベトナムを攻撃した。
これも余談だが、「紅いナポレオン」と言われた、ベトナム共産党のホー・グエン・ザップ将軍 が、ティエンビエンフーの戦いでフランス軍を撃破したのも人海戦術だ。
人海戦術は、人命など屁とも思わない共産主義が到達する、必然的結論でもある。
それなのに、未だに中国の天安門広場には、巨大な毛沢東像が聳え立ってたっている。
ソ連時代のレーニン像、北朝鮮の金日成、金正日像、イラクのフセイン像など、独裁国家にありがちの巨大像だが、いずれも政権が変わると打倒される運命にある。
既に現代中国での毛沢東の評価は、「過ちもあったが功績が勝る」となっている。
しかし中国人が現政権に不満を持つと、度々、毛沢東の写真を掲げてデモ行進をする。
中国人の一部には、今でも毛沢東を神格化している連中が存在している。
しかしこれは全て、今の中国の改革開放政策に取り残された、落ちこぼれたちだ。
彼らが今でも毛沢東を支持し、ノスタルジャを感じているのはただ一点、「毛沢東時代は誰もが貧乏だった」からに他ならない。
毛沢東は、地主から土地を取り上げ、国家管理にして、農民、農奴たちに貸与した。
地主階級だけは悲惨な目にあったが、農民はそれまでの過酷な土地代取り立てから解放された分、生活は楽になった。
しかし文化大革命以降、毛沢東勢力を打倒した鄧小平の社会主義市場経済政策は、中国に深刻な貧富の格差を生み出した。
それを不満な勢力が、未だに毛沢東時代の再来を夢見ているのだ。
実際に毛沢東は、世界でもワーストの性格の持ち主で、世界最悪の暴君だった。
それでも毛沢東は、すっかり破綻した共産主義思想を、未だに信奉するごく一部の連中だけには英雄視されるかもしれない。
しかし世界史の常識では、人類の歴史始まって以来の、最低最悪の国家リーダーと見做され続ける存在でしかない。