退屈歴史講座 第四弾
副題 ポル・ポトの政策が、日本でも検討されたことがある
第二回目の退屈講座で、史上最悪の国家指導者として、中国共産党の毛沢東を挙げた。
https://blog.hatena.ne.jp/Sadda_Moon/sadda-moon.hatenablog.com/edit?entry=26006613557020615
これは、自国民を1億人近く虐殺した、大量殺戮者の面からの指摘だ。
しかし中国の人口は、当時でも10憶人を超えていた。
殺害された国民は、人口比では、10%にも至っていない。
これはこれで驚愕の数字だが、世界の共産主義指導者の中には、もっと物凄く残虐非道なことを仕出かしたバカが存在している。
ポル・ポトがカンボジアを統治した四年間で、殺されたカンボジア人数は70万人説から4百万人説まで諸々ある。
最近の研究では、どうやら150万人程度、若しくは若干それ以下と見られる。
それでも、当時のカンボジア人口は7百万人だったので、20%以上になる。
要は、5人に一人のカンボジア人が、当時の自国政府から殺されたのだ。
しかしこれもまた、共産主義がもたらす必然的結末だ。
何故なら、共産主義は必ず、独裁者を生み出すからだ。
そして歴史を紐解くと、民主的な独裁者など、一人としていないことが分かる。
独裁者は独裁者でしかなく、最後は必ず人類の歴史を汚すような悪行に手を染める。
これこそが、歴史の教訓であり、共産主義は歴史上の悪夢である所以だ。
ポル・ポトが、カンボジア内戦で勝利した理由については、この場では省略する。
当時のカンボジアは、シハヌーク殿下率いる国王派、アメリカ軍が後ろ盾のロン・ノル政権と、ポル・ポトのクメール・ルージュの三つ巴の争いの真っただ中だった。
前二者は裕福層代表で腐敗堕落していたが、貧乏くさいポル・ポト派は清廉に見えた。
貧困に喘ぎ、隣国ベトナム戦争の巻き添えで農地を米軍機に爆撃されたカンボジア国民には、反米のポル・ポト派が国民平等を訴えたことが、新鮮な救いの声に聞こえた。
実際に1975年、ロン・ノル政権を駆逐したポル・ポト派兵士を、熱狂したプノンペン市民が、歓呼の声で迎える映像が残っている。
しかしこの後、カンボジア国民は地獄を見る。
ポル・ポトは狂的な共産主義者で、しかも原始共産主義に憧れを持ち続けた、謂わば「バカみたいに幼稚な指導者」だった。
だからカンボジアを都会対田舎を対立構造ととらえ、都会は腐敗堕落したブルジョアの住処で、農村こそ聖なる革命の拠点を位置付けた。
ポル・ポトは、ここから首都プノンペンの住民を強制的に農家に移住させ、併せて都会の住民を、些末な理由をつけて虐殺している。
この時は、医師、学者、教師などが真っ先に殺害されたために、カンボジアの医学や教育分野は、深刻な空白を生んでしまったほどだ。
また芸術家も不要不急で反革命的存在と見做され、次々と虐殺されたので、今のカンボジアでは、芸能文化も致命的に遅れている。
僕が会ったカンボジア人は、全員が異口同音に、ポル・ポト政権の虐殺行為で貴重な人材や文化を失ったことを嘆いていた、
ポル・ポトのやった政策の中でも最悪なのは、親子関係も革命の桎梏になると、カンボジア国民の家庭を崩壊させたことだ。
毛沢東が文化大革命で、純粋無垢な紅衛兵を使って政敵を倒したことは良く知られているが、ポル・ポトもやはり年端もいかない少年兵を動員して、各々の家庭を内部から崩壊させた。
当時のカンボジアでは、密告が奨励され、子供が親を告発し、自ら処刑するなどが日常的に行われた。
学校も閉鎖され「子供は社会で育てる」と、親から引き離された。
カンボジアでは、親子関係でさえ、敵対するものになってしまったのだ。
ポル・ポトは、これほどの反人道的犯罪を繰り返しながら、国際法廷でもカンボジア国内でも、法的な責任を問われていない。
共産党内の裏切り者として逮捕され、72歳で心不全で死去したと言われている。
毒殺説、服毒自殺説もあり、共産党のお家芸の仲間割れで哀れな最期を迎えている。
しかし今となってもカンボジア人は、ポル・ポト時代の話になると小声で喋る。
それほどポル・ポト政権の負の遺産は、重くカンボジア人にのしかかっている。
因みに現在の民主主義的価値観の下では、ポル・ポトを庇ったり、彼らの犯罪行為を肯定する人など一人もいないはずだが、れいわ新選組の山本太郎の選挙参謀だった酒井剛は、尊敬する人物としてポル・ポトを挙げていた。
また2009年、日本で熱病のような政権交代騒動が沸き起こり、民主党政権が誕生した時、その民主党は、財源の目処もなく「子供手当」を新設した。
その時の民主党のキャッチ・フレーズが、ポル・ポト政権と同じく「子供は社会が育てる」だったことを忘れてはいけない。
共産主義にとっての家庭は、アウフヘーベン(止揚)するべき対象となるが、バカ言っちゃいかん、子供は、ある年代までは各家庭が、責任を持って育て上げるものだ。
ポル・ポトや民主党の「子供は社会で育てる」などの妄言は、明らかに間違いだ。
共産党だけでなく、民主党も売国的要素を内在する危険な政党だったし、その末裔の、日本の「共に昔は民主党」の両党も、またれいわ新選組も、その危険性は一緒だ。
ポル・ポトの亡霊は、いつでもどこでも、日本でも蘇ろうとしている。