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よく分かる(かも知れない)日本共産党の平和革命論

退屈講座第五弾は実は、日本共産党党員と共産党シンパ諸君に一番読んで欲しいが、無理だろうナァ?!

 

  講座 日本共産党の平和革命論について

  副題 インドネシア共産党の教訓

 

先ずは、簡単なぞなぞから、

  未だ一度も、国政与党経験がない日本の主要政党は?

答え

  日本共産党日本維新の会

 

維新の会は、結党後間がないし、与党でも野党ではなく「ゆ」党と揶揄されるくらいで、憲法改正では公明党よりも遥かに自民党に近い。

よってその気になれば、いつでも政権政党になりうる、

しかし、もう一つの日本共産党が、与党となる可能性はない。

絶対にないとさえ、断言できる。

 

最近の政局でも、政権交代は何度か起きた。

小沢一郎が仕掛けた細川護熙政権、村山富市の自社さ政権、鳩山由紀夫民主党政権

この時には、マイナー政党の民社党や、長期低迷で議員数二~三名にまで落ちぶれていた社民党ですら、政権の一翼を担った。

しかし日本共産党にだけは、絶対に、一度としてお呼びがかかったことがない。

いくら党を挙げて与党自民党を攻撃しても、肝心の政権には参加させて貰えない。

さすがに日本共産党も、ここまで除け者扱いされると、危機意識は強くなるだろう。

どの選挙区にも候補者を立ててきた共産党が、最近は一歩引いた野党統一候補の担ぎ出しに活路を求めて、一番不得手な自己犠牲精神まで発揮している。

しかしここでも断言するが、仮に野党統一候補作戦がうまく機能しても、共産党が政権参加できる保証はない。

 

何故か?

それは、日本共産党が、共産主義の政党だからだ。

そして共産主義は世界中で、どこでも誰にも受け入れられず、破綻した思想だからだ。

 

日本共産党は、戦後の暴力革命路線に失敗して、平和革命路線に鞍替えした。

今の日本共産党は、党として暴力革命を目指したことはないと強弁するが、これは詭弁でしかなく、明らかに一時期は積極的に武装闘争を推進したし、それが日本国民に支持されなかったことは歴史の事実だ。

内部闘争で、武装闘争派を一掃した宮本顕治が、議会で多数派を目指す平和革命路線に舵を切り、共産党は落選確実でも全選挙区に候補者を立ててきた。

その活動の結果、衆議院12名、参議院13名、合計25名の国会議員を擁する、列記とした国政政党の端くれとなったのだから、わずか議席数四名の社民党などに比べて、もっと野党の中で影響力が強くあっても不思議ではない。

しかし、そんな社民党は政権に参加できるのに、日本共産党はダメなのだ。

 

共産党が警戒され、国政で仲間と認められないのは、共産主義を捨てないからだ。

日本共産党は、過去に自分たちが仕出かした暴力的手段だけが否定されたと思っているが、実はそれは、平和革命論でも同じことなのだ。

有名な「敵の出方論」は、暴力革命か平和革命かは、敵の出方次第との考えて、共産党が依然として危険な組織の根拠となっている。

事ほど左様に、武装闘争も平和革命も、最終的に共産主義を目指す手段の違いでしかない。

しかし、日本人にも、そして国際社会でも、共産主義そのものが否定されている。

平和的に共産主義に移行することもまた、厳しく拒否されているのだ。

 

日本共産党の平和革命論には、インドネシア共産党の前例が参考になる。

日本共産党の全盛時代は、党員30万人にまで至ったと言われている。

この頃の日本共産党は、このまま議会で共産党が躍進し多くの議席を獲得できれば、その勢いで政権を取り日本で共産主義体制が実現されると、文字通り夢を見ていた。

しかし現実の日本共産党は、その後伸び悩み、長期に亘って低迷している。

政党支持率は3%台と伸び悩み、党員の高齢化も進み、現実的方針と自画自賛していた平和革命論ですら、もはや見果てぬ夢と化した。

 

一方のインドネシア共産党は、日本共産党同様の平和大衆路線を進めた結果、全盛時代の党員360万人にまで膨れ上がっていた。

しかも、スカルノ政権の重要な与党として、国政を一手に握るほどの勢力だった。

文字通り、日本共産党の平和革命論の先駆けのはずだ。

しかしこのインドネシア共産党は、有名な1965年の930事件でインドネシア国軍に鎮圧され、一瞬のうちに壊滅してしまう。

平和革命路線で党員だけをズブズブ集めても、有事の際には全く役に立たないことが証明された事件だが、かと言って、暴力革命は国民の支持を得られない。

因みにインドネシア共産党は、930事件の後は中国共産党毛沢東の指導で、山に籠るゲリラ戦を試みたが、これもまた殲滅され、最終的に非合法化されてしまった。

平和路線でも武装路線でもうまくいかないのは、共産主義そのものが行き詰まっているからであって、やり方の問題ではないのだ。

 

日本共産党が、日本の野党として存在感を発揮するのなら、党是の共産主義と、党名の共産党を捨てなければならない。

民主主義の世の中は、思想信条の自由は保証されているから、個人的には何を考えても構わない。

しかし、政権を担う政党が、全体主義共産主義を標榜しても、国民に支持されることは絶対的ない。

人類は、貴重は時間と多大な犠牲を支払って、そのことを学んだ。

共産主義と決別した党なら、政権交代時の政権参加は可能だし、(余計なお世話ながら)それこそが唯一日本共産党に残る将来への希望なのだ。