今のご時世で、人種差別を肯定する人はごく少数だ。
ごく少数と言うから、いることはいる。
白人至上主義団体がそうだし、ヨーロッパには隠然とした差別が残っている。
そして冷静に我が身を振り返ると、自分にも差別意識が皆無とは言い切れない。
今、大問題になっているアメリカの黒人差別反対デモを見ていて、そんな感想を持つ。
現在進行形のアメリカの差別反対デモは、昼の顔と夜の顔が全く違う。
昼間のデモ隊は、「I can’t breathe.」と書かれたプラカードを持ち、道路に横たわるパフォーマンスで、被害者George Floydさん殺害に平和裏に抗議している。
デモを取り締まる側の警官も、片膝をついて被害者に哀悼の意を表したり、一緒にデモ行進するSheriffもいる。
穏やかだが、多くの賛同が集まる、抗議と取締りの光景だ。
ところが夜になると、様相が一変する。
ここに集まっているのはデモ隊と言うより暴徒集団で、次々と店の窓やシャッターを破壊し、手当たり次第に商品を略奪する。
そしてその犯人たちは、悉く黒人だ。
映像を見る限り、少なくとも白人の犯人は一人として映っていない。
繰り返しこんな光景を見せられると、その場に居合わせなくても、「黒人っておかないなァ」と思うものだろう。
アメリカでは黒人差別は極めてタッチーな問題なので、日本人のような異邦人が、日常会話で触れることは厳禁だ。
しかし、仲良くなってくると、ついつい本音が漏れてくることがある。
遺伝子の世界でも、黒は白に対して優性遺伝子なので、メンデルの法則に従えば、黒と白をかけ合わせれば、3:1の割合で黒が多く生まれてくる。
だから混血が進めば進むほど、比例してドンドン白色が少数派になっていく。
白人の中には、そんなことを怖れている連中がいる。
更に、身体能力、絶対音感など、客観的に見て黒人の方が優れているし、特に歴然とした身体能力の差は、本能的に白人が黒人を怖れさせてしまう。
また、黒色が全てを吸収するので、いずれは支配されるのではとの不安感まで広がる。
人種差別が悪いことなど百も承知だが、それでも白人が黒人と馴染まない部分があるのがアメリカの実態なのだ。
近くに黒人がほとんどいない日本人には、なかなか理解できない感情だろう。
斯く言う僕自身、ニューヨークの地下鉄で、黒色と言うよりむしろ紫色の黒人集団を見て、思わずたじろぎ車両を変わった経験がある。
勿論、紫色の連中が悪さをすると決まったわけではないし、実は善良な集団かもしれないのだが、彼らに感じてしまう不気味さは、理屈や言葉では言い表せない。
同様に、タイ発インド行きの飛行機に、アラブ人が大量に乗り込んできた時も、着地するまで落ち着かない時間を過ごした。
・人類皆平等
・差別のない社会を実現する
いずれも全くご尤もで、誰一人反対する人はいない。
しかしそんな美しい理念を語る人の中にも、差別意識が垣間見えることがある。
ある時、とある駅前で、部落差別反対の署名活動をしているグループに出くわした。
僕に署名を求めてきた女性は「今の日本でも、謂われない差別を受けて苦しむ人がいるので、日本から差別を一掃したい」と熱烈に語った。
成程!と思った次の瞬間、彼女は「私は部落民ではありませんが、部落民の悩みは云々」と続けた。
僕は、彼女がわざわざ自分が部落民ではないと説明したのは、彼女自身の中に、署名活動をしている自分が部落民と思われることを嫌がる、部落差別意識があると確信し、一気に興醒めしたことを覚えている。
人間を、謂われなく差別することは悪いことだ。
しかし、長年に亘って差別し差別されてきた社会は、一朝一夕に変わるものではない。
先ずは、自分の中の差別意識を撲滅することから始めるべきなのだが、これもまたある意味、自分のアイデンティティの部分があり、そう簡単なことではない。
アメリカの黒人差別反対運動は、多くの有名人が賛同し、もっと多くの無名の人々も「犯人の白人警察官に厳罰を」と要求している。
テレビでは、殺されたFloydさん夫人と幼気な娘が登場し、「素晴らしい夫」「優しかったお父さん」と涙を流す。
一方の犯人警察官にも、褒めてくれる家族がいるかもしれないのに、日頃から黒人への取り締まりが苛烈だったと、あたかも悪徳警官のように報道される。
そもそも何故警官が、暴行を振るってまで取り調べようとしたのかを報道したニュースは、寡聞にして知らない。
アメリカの報道では、デモ隊をテロ組織と断定し、鎮圧に軍隊投入をチラつかせるトランプ大統領への非難一色だ。
あたかもトランプは、黒人差別解消に消極的な大統領との印象操作が加わり、秋の大統領選挙の前哨戦の様相を呈している、
だから、一方の正義だけを押し付けるかのような報道は、用心して掛った方が良い。