昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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安倍首相を語る

実は、安倍首相とは入魂の間柄、いわゆるポン友だ。

何せ、今を去ること30年ほど前、親しく会話したことがあるからだ。

場所は、ある顧客の東北地方新工場の落成式。

当時の安倍晋三君は、父上、安倍慎太郎議員の秘書。

そこで、オヤジの後援会会員だった顧客の祝い事に、オヤジの代理で出席していた。

 

偶然、安倍君と席が隣り合わせになったので、先輩面で声をかけた、

 当方「安倍君も、いずれは選挙に出るの?」

 安倍「ハイ、そうなると思います」

 当方「フ~ン、大変だね、頑張ってよ」

 安倍「ハイ、ありがとうございます」

大変オ忙しい安倍首相だから、ひょっとしたら当方の心温まる励ましを「うっかり失念している」可能性がない訳でもないかも知れない、との懸念がない訳ではない

だが当方は、「安倍君はなかなかに礼儀正しい若者だった」と、好印象で覚えている。

 

その運命の出会いから20年。

年月の経過と環境の変化が、二人の運命をドラマテック、ドラステックに変えた。

片一方の若者は、苦労と努力を重ねた結果、日本国総理大臣にまで上り詰めた。

あの時の「励まし」が、彼の辛い時期の心の支えになった可能性がない訳でもないかも知れない。

もう一方の、激励した側の初老間近の若者は、大した苦労も努力もなく平凡な会社員人生を歩み、今や瘋癲老人と化して、連日愚にも付かぬことでくだを巻いている。

偶然隣り合わせた二人の運命が、後にそれほど大きな差になることを、いったい誰が予測できただろうか?

 

その安倍首相だが、過去の首相経験者の中では、圧倒的に毀誉褒貶が激しく、特にヒダリ巻き連中からは目の敵にされている。

最近には並ぶ者なく、過去を紐解いても、祖父、岸信介が匹敵するだけだ。

これは好き嫌いは別として、安倍晋三君が、首相として働いていることを表している。

民主主義の世の中で、首相たるものが何かをやると、必ず賛否両論を巻き起こす。

だから、評価の差が激しい人ほど、国家にとって重大な決断をした人なのだ。

 

安倍首相の肯定派は、今迄中国、韓国から煮え湯を飲まされたと感じている人たちだ。

少なくとも安倍首相は、韓国、中国に腰砕け続きだった過去の首相に比べて、両国に毅然とした態度をとったことが、何回かはある

それだけでも、「臭いものに蓋」で逃げ回った、今迄の首相連中とはエラク違う。

勿論、国際外交なので、日本の言い分が100%通ることはなく、その都度、保守派からも、「安倍首相は弱腰だ」と批判されることはあった。

だが総じて、「そうは言っても、対両国の外交では頑張っている」と見做されている、

 

反対派は、安倍首相の全部が嫌いな連中だ。

やること成すこと、箸の上げ下げまで気に入らないし、安倍首相が掲げる政策の全てに反対するだけでなく、人品骨柄にまでイチャモンをつけている。

そんな反対派の意見を冷静に分析すると、大きく二種類に分けられる。

 

一つは、「安倍首相はアタマが悪い」との、人格否定の指摘だ。

安倍晋三君は、高校時代から東大生の平沢勝栄を家庭教師につけても、東大はおろか、慶応大学にも受からなかったらしい。

助平爺ィ前川喜平の一の子分、東大卒の寺脇研が嬉しそうにそんな悪口を言っていた。

そんな学歴故に、秘書時代の安倍晋三君は、霞が関官僚から差別されたらしく、その時の反骨心から、反官僚意識が強まったと聞いたことがある。

首相になっても、漢字を読み違えたり、官僚の答弁書を丸読みするだけで、自分の言葉を持たないバカとか言われた。

しかし前川や寺脇のように、こんな悪口を言うヤツこそ、偏差値至上主義の愚か者だ。

実際の国会や海外首脳とのやり取りを聞けば、安倍首相の答弁や主張が如何に安定しているかが分かるのだから、決してアタマが悪いわけではないのだ。

 

もう一つの批判は、「安倍首相のやってきたことは胡散臭い」だ。

これは、最近のモリカケ問題、桜を見る会、黒川検事定年延長問題で大騒ぎとなった。

いずれも反対派は、安倍首相、明恵夫人を、根拠もないのに嘘つき呼ばわりしたり、不正塗れの極悪政治家との強い思い込みがあり、当事者の説明など聞く耳を持たない。

これこそ、反安倍マスコミ勢力が、全力を挙げてネガティブ情報を発信し続け、世論操作した結果だが、実際は全く証拠ゼロの、「為にするキャンペーン」でしかなかった。

インチキ情報に踊らされているのに、印象だけは強烈に残っているので、反対派は「安倍は絶対に怪しい」との妙な確信に凝固まっている。

だから、安倍首相肯定派がいくらこんな連中と議論しても、全てが徒労に終わる。

 

昔は、マスコミからの情報しかなかったので、反安倍派寄りの見解が主流だった。

60年安保、70年安保闘争などがその典型で、政府の方針通りなら日本はすぐに戦争に巻き込まれると危機感を煽られ、多くの人がそんな不安を抱いて安保反対を叫んだ。

しかし、インターネットのが普及が、世の中を変えてしまった。

大手マスコミに独占されていた情報を、自分で取捨選択できる時代に変わったのだ。

今やネットの世界には、個人の責任で判断が可能な、虚々実々の情報が溢れているので、その中のどれが信頼でき、どれがフェイクかを見分ける能力が必要となる。

そんなことを繰り返すうちに、マスコミの欺瞞性を知ることにもなった。

 

そんな時代に、いずれの意見を採用するかの結論は、選挙で決着をつけるしかない。

僕のような、安倍首相とは「昔馴染み」で、且つ安倍政権を支持してきた右寄り人間は、その選挙で安倍政権支持派が多数を占めることを願っている。

そして、せめて反日勢力に一太刀と、及ばずながらも日々努力している。