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「朝鮮系の人たち」って言い方オカシーィ!

今回の都知事選の途中で、日本第一党桜井誠候補が、虎ノ門ニュースに出演中の評論家、上念司の発言に直接抗議した事件があった。

窓越しに大声で上念を糾弾する桜井と、放送中に桜井を挑発する上念。

そんなシーンを、サヨク界隈ではお馴染みだが、右の内ゲバと見る向きも多かった。

しかし共に右寄り論客の二人だが、特に韓国に対する主張は、むしろ正反対に近い。

日頃から声高に自説に拘る二人なので、今後とも事あるごとに衝突を繰り返すだろう。

 

その件について、虎ノ門ニュースレギュラーの有本香がコメントしていた。

有本のコメントは

 ・桜井の抗議方法は適当なやり方でない

 ・自説を訴えたいなら、キチンと秩序と順番を守るべき

 ・しかし虎ノ門テレビ(上念)側の反論もまた不適切

 ・朝日新聞毎日新聞を引用するべきではなかった

と、喧嘩両成敗の優等生的論調だった。

 

有本は続けて、桜井が敵視する朝鮮問題に言及し、

 ・桜井が元所属した在特会の運動は、明らかなヘイト行為を含んでいる

 ・そのような行為は、絶対に許してはいけない

 ・しかし一方では、なぜ在特会が過激な抗議行動に走ったかは伝えるべき

と言い出し、

 ・京都の公園を「朝鮮系の人たち」が不法占拠していたことがある

 ・自治体は全く解決できず、在特会の運動で問題点が住民に知れ渡った

と、「朝鮮系の人たち」の不法、不当行動を忘れてはいけないと主張した。

 

大東亜戦争で日本が敗北した時、朝鮮を戦勝国と勘違いした在日たちが乱暴狼藉の限りを尽くし、それに対抗するために日本のヤクザが自警団を作ったのは。歴史的事実だ。

山口組三代目、田岡一雄組長は、その代表的な存在だ。

どんなに自分の境遇に不満でも、仮に差別的扱いを受けたとしても、だから不法な暴力的手段に訴えても良いわけではない。

だから僕も、有本の意見に全く同感だ。

 

ただ、上念が一方的に桜井を「ヘイトだ」と切り捨て、有本もまた「ヘイトは許されない」と、口を揃えて桜井を批判したことには違和感を覚える。

上念も有本も、言論で飯を食う職業に従事している。

ならば、「言論の自由」の重要さは、誰よりも身に染みて知っているはずだ。

桜井は常に「ヘイト」で非難されるが、では一体、誰がそれをヘイトと認定するのか?

差別やセクハラと同様に、「被害者がヘイトと思ったら、それはヘイト」となると、言論の自由など消滅する。

「気に入らないから、あいつの言うことはヘイト」などと訴えられたら、言いたいことも言えなくなるし、それは憲法で保障された言論の自由に抵触しているはずだ。

あたかも正論で常識のように、上念も有本も「ヘイトはダメ」と力むが、それは外国人の威を借る言葉狩りだ。

 

有本の話でもう一つ、耳障りで納得できないのが「朝鮮系の人たち」の部分だ。

どこの外国人も、総称する時にはその人の出身国に「人」をくっつけるだけであり、アメリカ人を「アメリカ系の人」などは絶対に言わない。

しかし朝鮮人だけは、以て回ったような言葉になる。

サヨク連中も、決して「朝鮮人」とは言わず、こちらは「朝鮮の人たち」を使う。

左右両方とも、なぜ普通に「朝鮮人」と言わないのか。

これこそ、オカシーィだろう!

 

これはサヨクにも有本にも、「朝鮮人」との呼び方に、内なる差別意識があるからだ。

有本が指摘したように、戦後から三国人と日本人の間には、軋轢が多く生じてきた。

その度に、朝鮮人は被害者意識が、日本人には差別意識が強くなっていった。

その時代に使われた「チョーセンジン」には、日本人からの、嫌みと怖れと差別のニュアンスがあったことは間違いない。

「チョーセン、チョーセン、パカするな」との戯れ歌を、聞いたことがある人は多い。

朝鮮半島出身者だから「朝鮮人」と呼ぶのがごく普通なのに、それを躊躇するのは、精神的に差別意識が刷り込まれているからだ。

 

しかし、そんな時代は終わったはずだ。

韓国は「漢江の奇跡」で経済発展を遂げ、北朝鮮金王朝の独裁体制下にある。

今では、押しも押されもしない大韓民国の韓国人、朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮人であり、朝鮮半島出身者を一括りで言い表すのは「朝鮮人」だ。

日本人が妙な気配りをして「朝鮮系の人たち」などと遜る必要などないし、妙な気配りをすること自体が差別の残滓だ。

国ごとの言い方なら、韓国人、北朝鮮人、そして朝鮮半島出身者の総称は朝鮮人と、普通に言えば良い。

有本香やサヨク連中が、差別反対を声高に言うのなら、先ず隗より始めよ!

朝鮮半島出身者は、「朝鮮系の人」とか「朝鮮の人」などではなく、「朝鮮人」と呼ぶべきだ。