人間、中途半端な才能の持ち主ほど、つぶしが聞かず、始末が悪い。
中でも、学校の成績、いわゆる偏差値が良からず、悪からずの人は、進路を誤るケースが多い。
自分自身、何をやっても中途半端だったから、良く分かる。
愛知県知事、大村秀章の場合、僕よりも遥か上のレベルではあるが、それでも中途半端な学業の出来が、彼を誤った道に導いたのではないかと思ってしまう。
大村は、東大法学部卒で農水省の官僚を経て、政治家になった。
自民党衆議院議員の時はパッとしない政治家だってので、その手によくある転身の道で愛知県知事になり、既に三選を果たしている。
しかし好事魔多し!
順風だった県知事職が、あいちトリエンナーレ開催を巡って批判され、今やリコール運動の対象になってしまった。
高須克弥院長が音頭を取るリコールが成立すれば、大村は全国で初めて「住民に辞めさせられた県知事」の不名誉に浴する。
大村側は、そんな雰囲気に危機感があるのだろう。
大村を支持してきたT自動車や、サヨク活動家、香山リカが、リコール回避のために傍目を構わず、必死に大村を応援しているようだ。
果たして、この結末はどうなるのか。
個人的には、愛知県民でもないので投票権はないが、すっかりサヨク脳になり果てた大村のリコール運動が盛り上がって、成立して欲しいと思っている。
しかし今回、大村に関して言いたいのは、このリコール運動の結果予想でも、表現の不自由展を巡る、一連の訳の分からない説明や対応への批判ではない。
大村が持って生まれた才能を、無駄遣いしていているのではとの疑問についてだ。
独断と偏見で申し訳ないが、思うに大村は、役人とか政治家とか、エリートにあり勝ちの仕事に就くのは勿体ない。
彼の秘められた本来の才能は、お笑い芸人になることで如何なく発揮されたと思う。
大村は、漫才師か、落語家になれば、その容貌だけで大人気者になったはずだ。
それは、彼の顔を見るだけで、一目瞭然に分かる。
お笑い芸人としては、天賦の才能、天賦の容貌の持ち主なのだ。
微妙なバランスの目つきや口元は、実に頼りなさそうな感じがして思わず応援したくなるし、いつも笑っているようにも見える表情からは、安心感が漂ってくる。
とにかく、見るだけで笑いがこみあげてくる顔なんて、そうはあるもの絵はない。
しかも、そんなホッとした顔つきは、後天的努力では身につくものではない。
彼が齎すその笑いを、愛知県民だけのモノにしておいてはいけない。
全国だけでなく、ピコ太郎のように、全世界の人々を笑いの虜にできるはずだ。
東大に受かるような中途半端な偏差値が、大村の大成を妨げた。
彼自身、大学に通った時点で、お笑いへの道など考えたこともなかったはずで、東大法学部卒にありがちの官僚志向に凝固まってしまった。
もしもそうなら、誠に残念なことだった。
しかし、今からでも遅くない。
愛知県知事をリコールされた暁には、一兵卒に戻った気持ちで、よしもとの門を叩いてみればどうだろう。
きっと、自分の中に隠されていた才能に、自分自身で驚くはずだ。