退屈講座の第9弾
副題 本当の台湾の偉人たち
台湾の李登輝元総統が、97歳で天寿を全うした。
大往生だろうし、故人の生前の業績を考えれば、日本の正当な保守勢力の全員が、衷心から哀悼の意を表したのも当然だ。
日本から葬儀に出席した、森喜朗元総理大臣の弔辞も心打つものだった。
森元総理は、現職中は散々な評価だったし、東京オリンピックを巡っても、ミドリのタヌキによってすっかり悪役に仕立て上げられたが、死を覚悟したガン闘病の「遺書」を書いて以降、吹っ切れたような活躍ぶりで評価が鰻上りだ。
今回の李登輝元総統の葬儀でも、森元首相はその存在感を十二分に発揮した。
その李登輝元総統と日本の関わり合いは、テレビでも新聞でも数多く語られた。
日本文化への造詣も深く、何よりも日本人に対して、「もっと自信を持て!」と叱咤激励する、稀代の親日政治家だった。
1970年代前半、台湾はアメリカと日本の両国に、手酷い政治的裏切りを喫した。
中国本土への反攻計画も頓挫し、腸が煮えくり返るほどの悔しさを味わったはずだが、その後も国家として地道に、且つしたたかに、中国に対峙する姿勢を堅持した。
その後、中国共産党の覇権主義が露呈し、中国の危険性への認知度が増すにつれ、国際世論が反中国に変わり、その分、台湾の国際的地位と信用も回復している。
今回の武漢肺炎の見事な封じ込め政策からも、台湾の民度の高さが知れ渡った。
そんな民主主義国家、台湾の誕生と成長に、李登輝が果たした役割は、言葉では言い尽くせないことを、台湾人だけでなく世界中の人々が知った。
台湾の民主主義は、李登輝の強い信念とリーダーシップによって実現し、定着した。
李登輝は、台湾だけでなく、世界レベルで不世出の大政治家だった。
その李登輝は、一体どのようなプロセスを経て、台湾の指導者になっていったのか。
蒋経国は、台湾国民党初代総裁、蒋介石の長男だが、万事派手だった父親に比べると地味な存在で、日本ではあまり知られてはいない。
あの李登輝が尊敬するほどの人物なのだから、それだけで、蒋経国の偉大さを推し量ることができるが、この二人が知り合ったのが、蒋経国暗殺未遂事件への李登輝関与の有無を調査することだったのが面白い。
蒋介石は、中国本土で共産党との内戦に敗北し、追われるように台湾に逃げ込んだ。
蒋介石と国民党にとっては、尾羽打ち枯らした逃亡劇で、ここでアメリカの庇護がなければ、一気呵成に中国共産党に攻め滅ぼされていたに違いない。
しかし、米ソ対立の国際社会のバランスの中で、兎にも角にも蒋介石は、反共のシンボルとして、台湾で中華民国政府を樹立した。
日本での蒋介石の印象は、戦後処理の賠償金を辞退した気骨の政治家ともとられ、韓国のタカリ体質と比べて、その潔さに好感を持たれている。
しかし台湾の現地住民にとっての蒋介石と国民党は、占領軍であり、またその過程で台湾の現地住民を大量虐殺している、裏のある政治家と政党でもある。
その長男、蒋経国は、蒋介石の死後、ワンポイントリリーフを経て第三代中華民国総統を継いだが、何と蒋経国はモスクワ留学中に共産主義者として活動していた。
父親は、国共合作で一時的に中国共産党と手を組んだものの、根っからの反共主義者で、最後は熾烈な内戦で共産党と戦った。
その息子は、バリバリの共産党活動家だっただけではなく、レフ・トロツキーに心酔し、「中国のトロツキー」とまで呼ばれていた。
トロツキーは、レーニンと並ぶロシア革命の大立役者だが、後継者争いで政敵スターリンに敗北し追放され、最後は亡命先のメキシコで暗殺された革命家だが、その路線はスターリン以上に過激な共産主義世界革命の実現だ。
スターリン以降の共産党内では、トロツキーの考えは異端、反革命と定義され、トロツキストと言うだけで粛清の対象とされた。
日本でも、共産党に除名されたトロツキスト集団は、その後反代々木系極左過激派と称され、現在の中核派や革マル派となっている。
蒋経国は、そんな中核派や革マル派と同じ考えの持ち主だったのだ。
父親が中国共産党を弾圧し、本人はスターリンの政敵トロツキー派だったために、蒋経国は共産党内でも辛酸をなめたが、中国帰国後、蒋介石をサポートする立場となった。
国民党員となった蒋経国は、当然ながら中国共産党とは敵対し、台湾への移住後は秘密警察を使って後継者争いの政敵を追い落としたりもした。
またニクソンが米中国交を回復した時の実質的台湾トップリーダーだったが、その危機を国内投資充実で乗り切り、中国本土からの台湾独立機運を確実なものにした。
その蒋経国が、元は学者だった李登輝を政治家として高く評価し、台北市長、台湾省主席、そして国民党副総統にまで抜擢した。
後に李登輝が台湾独立を主張し、台湾と中国は不倶戴天の関係になるが、その切っ掛けは、国内経済を立て直した蒋経国のリーダーシップと彼が実行した政策からだ。
キリスト教伝道師になる積りだった李登輝は、副総統就任を固辞したと言われるが、総統就任後には、徹底的に政敵を排除、追放しているので、真実は藪の中だ。
百戦錬磨の蒋経国が、李登輝の政治家としての能力に着目したと見るのが普通だ。
その他にも、一時期共産主義に傾倒したことがある李登輝に、熱烈な共産党員だった蒋経国が親近感を持ったこともあるだろう。
いずれにしても、蒋経国によって国民党総裁の後継者指名された李登輝は、皮肉にもその後、国民党のライバル政党、民進党を支援し、蒋介石以来の国民党一党独裁政治に終止符を打ち、台湾を民主主義国家に仕上げた。
若かりし日は、共産主義の理解者だった二人だが、後半は中国共産党と戦い続けた人生となった。
日本では、蒋介石を台湾中華民国建国の祖と見る人が多いが、台湾人にとっての蒋介石は、傍迷惑な侵略者、虐殺者であり、出来もしない大陸反攻を夢見たお邪魔虫でしかない。
蒋経国こそ、台湾に善政を施し繁栄に導いた大政治家と、尊敬を集めている。
そしてその愛弟子、李登輝が今日の台湾繁栄の礎を作った。