昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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河野太郎、終了のお告げ

正直に告白するが、河野太郎に期待していた。

特に外相として、毅然として中国、韓国を相手に日本の主張を伝える姿勢が、歴代外相に比べても新鮮で、日本の外交が変わると思わせた。

防衛大臣としても、唐突に秋田県沖シーショア計画を白紙に戻したが、コストと効果を比較した上で、批判を恐れず自らの責任を明示した方針変更の説明だった。

万事公論に諮る政治家が多い中で、自分の意思を強くアピールする姿は傑出していた。

 

河野太郎に関しての不安の一つが、派閥内での評価が散々だと言われてきた点だ。

しかしこれも視点を変えれば、派閥政治にがんじがらめに縛られた、従来型政治家ではないとの好意的な見方にもなる。

自民党総裁選の泡沫候補としか見られなかった小泉純一郎が、「自民党をぶっ潰す」と絶叫したら、総裁になった時代だ。

派閥の応援がない河野太郎でも、やり方次第ではダークホースにはなりうる。

そんな気持ちで、少し応援をしていた。

 

もう一つの不安は、オヤジが反日政治家として悪名を残す河野洋平だという点だ。

政治家、河野太郎にとっては、一生付きまとうハンディキャップだが、息子の方はこの間「オレはオヤジとは違う」と言い続けたし、世間も「そうかも」と思い始めていた。

 

しかし河野太郎は、そんな高評価を一瞬にしてゼロ、いやマイナスにまで落としてしまう失言を仕出かした。

それが、「日本は女系天皇を認めるべき」との発言だ。

しかもこれは、たまたま口が滑ったチョンボで喋った代物ではない。

予てからの、河野太郎の持論らしい。

これで河野太郎の、総理大臣の目は消えたほど重大な、間違った歴史感覚だ。

 

日本人の天皇に対する思いは、敢えて分ければ二つある。

一つは、二千年続いた天皇家への無条件の敬慕の情だ。

理屈ではなく、ただただ、日本国象徴としての天皇陛下を、心から敬う気持ちだ。

大半の日本人は、こんな思いを持っていることに、何の疑問も持たない。

 

もう一つは、天皇大東亜戦争の最高責任者であり戦犯なので、その責任を問うべきとの見解だ。

しかし、「天皇制」なる言葉を作り出し、制度のとしての天皇を廃止するべきと主張してきた共産党でさえ、日本国民の中に定着している天皇への気持ちを無視できず、今では条件付きながら天皇の存在を認める方向に変わっている。

 

そんな中で、河野太郎は「天皇制」を維持するためには、男系に拘るのではなく、愛子様を含めた女系も選択肢と言っている。

先ず、女性天皇女系天皇は全く違う。

日本の歴史上、女性天皇は八人いるが、それは全て男系の女性天皇だ。

女系天皇は、二千年の天皇家系図に、一人として存在しない。

河野太郎は、男女同権の世の中で、なかなか男性が生まれにくい天皇家のことを考えれば、女系天皇天皇家を存続させる方が現実的と思っているようだ。

しかし、もしもそうして天皇家を存続しても、その瞬間から、それは二千年続いてきた皇統ではないことを理解していない。

 

我々日本人は、「お天道様が見ているから」と悪事を働くことを躊躇する。

我々日本人は。常に身を清め清い生活をしたいと思っている。

我々日本人は、何かと接触すると、その部分が穢れると思っているので、外国人のような握手やハグ、キスを嫌い、お辞儀で親愛の情を示す。

これは、日本人の共通の行動パターンだが、本人はまるで無自覚ながら、全て日本神道の教えだ。

日本神道は日本人の心の支えなのだが、その日本神道の総元締め、シンボル的存在が天皇家の存在で、且つそれは男系天皇によって守られつ続けてきたものだ。

そして日本神道こそ、全く知らず知らず、気が付かないまま日本人のDNAとして埋め込まれた、日本人のアイデンティティそのものだ。

 

天皇家を存続させるために、女系天皇を認めるのは、過去の天皇家の歴史を全て否定し、天皇家天皇家でなくなることを意味している。

日本人が考えなければならないのは。「どうすれば男系天皇を維持できるか」の一点に尽きる。

短絡的で安直な女系天皇容認を持ち出した時点で、日本国総理大臣、河野太郎はあり得ない。

自民党議員、河野太郎は終わった。