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大坂なおみの全米オープン優勝は、どうも素直に喜べない  

 

大坂なおみ全米オープン優勝は快挙だ。

しかも全米は二勝目、メジャー三勝目。

第一セットをアッサリ負けた後のカムバックだから、尚のことこの勝利は価値がある。

「新たな女王誕生」と、日本人だけでなく、世界中が祝福している。

全くおめでたい話なのだが、どうも素直になれない。

 

それは彼女が、ことさらに黒人差別反対を強調してきたからだ。

そもそもは、全米オープンの前哨戦ウェスタン&サザン・オープンから始まっていた。

彼女は突然「テニス選手の前に一人の黒人女性」を理由に、棄権すると言い出し、主催者側も試合延期を発表するなど大騒ぎとなった。

この時は「抗議行動への関心が高まった」とか、訳の分からない理由で試合復帰したが、最終的には決勝戦を体調不良で棄権した。

 

この後が、全米オープンになるのだが、彼女は黒のマスクに差別で死亡したと言われる七人の黒人の名前を書いたマスクを毎回変えて着用し、差別反対を訴え続けた。

そんなパフォーマンスで、決勝戦まで七試合を行い、且つその全部に勝利して優勝したのだから、大したモノだと感心するしかない。

しかし同じ日本人として彼女の振舞いを見ると、どうしても違和感を禁じ得ないのだ。

 

先ずテニス選手は、純然とした自分の技術と体力で勝負を争うべきだと思う。

しかし黒マスク姿の彼女は、特に白人選手には、それだけで十分威圧的に見える。

素晴らしいプレイで観客を味方につけるのは技の内だが、例え無意識であっても、それ以外の手段で心理的に優位に立つのはフェアとは言えない。

また、日本人の中には、黒人に対する差別はない。

幼少の頃に、物珍し気に見られることはあったかもしれないが、アメリカやヨーロッパの人種差別とは根本的に違う。

今回の大阪なおみの快挙を「同じ日本人として誇りに思う」とのコメントを多数見たが、黒人差別反対を最優先した彼女のメンタリティは、黒人差別意識のない日本人には唐突感がある。

 

彼女が着用した、マスクに書かれた黒人の中で、名前を知っていたのはミネアポリスでの取り調べ中に、白人警官に押さえつけられて死亡したGeorge Floydだけだった。

優勝スピーチで彼女自身が「今回のマスクで名前を知り事件を調べてくれれば」と、自分の行動の目的を述べていた。

確かに彼女のそんな行いで、アメリカだけでなく、世界中で黒人への不当差別がなくなれば良いことだとは思う。

 

しかし、現実を冷静に見ることもまた重要なはずだ。

それは、黒人の犯罪率が高いことだ。

黒人が差別されるから犯罪が多いのか、あるいは犯罪者に対しての警戒感が差別になるのかは、「鶏か卵か」の問題でもある。

しかし現に、黒人差別反対の運動は平和的デモだけでなく、略奪や強盗行為を含む暴力沙汰を至る所で引き起こした。

この現実を無視して、黒人差別反対を訴えても、運動の広がりは期待できない。

 

大坂なおみが黒人差別反対を訴えることに、文句を言っているのではない。

今回のマスクに書かれた七人は、警察官の暴力行為で命を失った黒人らしい。

彼女がそんな警官の暴力を非難するのなら、BLM運動の暴力もまた批判するべきだ。

それとも大坂なおみは「良い暴力と悪い暴力がある」とでも言う積りだろうか。

 

ついでに言えば、今回の全米オープンでは準決勝で敗退した、同じ黒人選手のセリーナ・ウィリアムズは、黒人差別反対を主張しないと非難されているらしい。

今回の大坂なおみを正義の味方を持ち上げる一方で、同じことを言わない選手を否定するのは如何なものか。

この二人は、二年前の全米オープン決勝を争った。

その時のセリーナは、審判が不公平だと大文句を垂れた挙句の敗戦だったので、大変後味が悪かった覚えがある。

ただセリーナの主張は、「審判が性差別をした」だった。

黒人差別だろうが、性差別だろうが、謂れのない差別は、全てがダメなはずだ。

しかしこの時の大坂なおみは、セリーナの主張に同調してはいない。

名前は忘れたが、有名男子プロ選手が「ツアーには性差別が存在する」と、セリーナを擁護しただけだった。

 

大坂なおみは、黒人差別撤廃を強く訴え、大注目と尊敬の念を集めた。

二年前のセリーナ・ウィリアムズは、テニスツアーに残る性差別を訴えたが、白眼視されただけだった。

大坂なおみの快挙だけでなく、マスクパフォーマンスにまで感激する日本人は、些か燥ぎ過ぎだろう。