ここに来て、マスコミの偏向報道が明らかになってきた。
全て、SNSのお陰だ。
インターネット情報が存在しない時代は、マスコミ発信情報しかなかった。
権力者は、そのマスコミを利用して、自分たちに都合のいいように世論を形成しようとする。
しかし気骨あるマスコミ人は、そんな権力者に抵抗し正確な情報を発信しようとした。
当然ながら、権力者の機嫌を損ね、厳しい弾圧を浴びる。
そんな反権力マスコミは「ペンは剣より強し」と、民衆から支持され。多くの独裁者や腐敗した権力の打倒につながった。
テレビや新聞の果たした役割は大きく、マスコミが権力の監視者だと言われた所以だ。
しかしこのようなマスコミの姿勢は、言論の自由が保障されている国と、全体主義国では様相が異なってくる。
全体主義国家で時の権力者に刃向かうのは、文字通り命懸けなのに比べ、自由主義国家の報道姿勢は「何を言っても大丈夫」で、出鱈目でも罰されることはない。
最近の日本のマスコミの場合、勝手に自分たちこそが「権力の監視者」と思い込み、更にあろうことか、その役割りを「国民の負託された」と勘違いしている節がある。
そんな勘違いは大迷惑で、少なくとも、都度の選挙で国民の審判を仰ぐ政治家とは、その根本の活動方針が明確に違っている。
実は日本のマスコミは、営利を目的とした団体でしかない。
極論すると、権力の阿ることなく矜持ある報道をすることが、自社の利益拡大につながるからこそ、マスコミは反権力姿勢をとっているのだ。
そしてその傾向に特定思想が加味されると、体制打倒が目的になり、そのためには手段を択ばなくなる。
朝日新聞が、捏造記事の訂正に30年もかかることが、営利団体の確たる証拠だ。
現在の反日マスコミが信用失墜に陥った罠とは、権力の監視者を自称し、報道の自由を振りかざしながら、国民に対して陰に日に、特定思想を刷り込もうとする姿勢だ。
マスコミ報道が、必ずしも真実ではない。
そんなマスコミの情報独占に、大きな風穴をあけたインターネットとSNSは、圧倒的にプラス面が多い。
仮定の話だが、もしもSNSがここまで発達しなかったら、四年前のアメリカのトランプ大統領誕生はなかったし、安倍政権が七年八か月も続くこともなかっただろう。
特に情報弱者にとってこそ、SNSで得る情報は、実に必要不可欠で且つ有意義だ。
と言うことで、今では産経新聞以外のマスコミから情報を収集することはなり、毎日セッセとSNS情報を集めている。
ところがこのSNSには、マイナス面も存在する。
その最たるものは、ウソの情報、いわゆるガセネタが溢れていることだ。
何せ、全く過去に実績のない自称ジャーナリストでも、簡単に情報発信できる。
また少々パソコンに詳しい人間なら、これまた簡単に合成写真を作ったり、偽情報を上書きできる。
ネット社会には、他人を陥れるために、見るからに如何わし気な写真や、キャリアを捏造する輩も多数存在している。
大手マスコミの欺瞞性を暴く情報と、個人的な思い込みや、極論だが個人的な恨みつらみ情報が混在するのがネット社会だ。
そのことを肝に銘じておかないと、騙されて後にとんでもない大恥をかくことになる。
もう一つのSNSのマイナス面は、見るのも汚らわしく、吐き気を催すような、実にクダラナイ記事を、否応なく読まされることだ。
無論TwitterでもFacebookでは、自分と同じ主義主張のグループに所属すれば、実に心地良い思いに浸りながら情報を交換できる。
気に入らないヤツは、ブロックすれば、付き合わなくても済む。
しかし同じグループの仲間が、違う意見の持ち主と論争などしていると、読みたくもない意見も目に入ってくる。
そこには。朝日・毎日・東京新聞や共同通信、テレビワイドショーでお馴染みの、見事なまでの反日情報が踊っているのだ。
今の政界話一つをとっても、「新生枝野立憲民主党に期待」とか「菅政権でも安倍の負の遺産は消えない」とかを大真面目に投稿している、骨董品みたいな連中がいる。
そんなバカは一人か二人ならまだ我慢できるが、何とかグループには集団で存在し、反日意見を喚きちらいている。
善良な右寄り人間にとっては大迷惑で、離れ小島でやってほしいと思うが、これもまた、ネット社会、SNSの現実だ。
こんな反対意見が跋扈する民主主義国家日本で暮らすことは、何とも煩わしい。
だがそれでも、共産党の支配下国家や、文在寅大統領の頓珍漢国家に生まれなくて良かったことだけは間違いない。
贅沢は言えない。
守屋浩じゃないが、日本人に生まれて「有難や」、「アリガタや」だ。