美人女優で名高かった竹内結子が、自宅で死亡していたと臨時ニュースが流された。
享年40歳。
乳飲み子を抱えながらの自死らしく、何とも心が重くなる出来事だ。
今年の7月には、美男俳優三浦春馬も、自ら命を絶った。
竹内結子の自死の原因については、三浦春馬の時と同様に、週刊誌やテレビワイドショーが、あることないこと騒ぎ立てるだろう。
人の不幸や悲しみこそ、連中にとっては格好の飯のタネだからだ。
有名人は、生前はスキャンダル防止に、細心の注意を払わされる。
死後もまた、隠していた事実を暴き出され、公衆の面前に晒されるなど、死して尚、安息の場がない。
人気稼業なので覚悟の上とは言え、こんなハイエナ連中に付きまとわれるとは、少々名声を博しても、芸能人やスポーツ選手は何とも割の合わない職業だ。
(ならんで良かったナァ!)
そもそも竹内結子や三浦春馬の仕事、俳優業そのものが、実に因果な商売なのだ。
彼らの業界で名優だと言われるには、他人様に成りきらなければならない。
しかも他人の性格を、極端にデフォルメして表現すればするほど、素晴らしい演技者と評価される。
しかし、生まれも育ちも性格も全く違う赤の他人になりきり、その性格まで演じることは、本質的に無理がある。
更に、必死の努力で他人になりきると、今度は本当の自分に戻ることが難しい。
人間は、そうは簡単に他人に憑依できないし、憑依状態から脱却できない。
そんなことが容易にできるのは、インチキイタコ芸人だけだ。
最新ニュース、格安ラブホ不倫の主役、水泳の瀬戸大也も有名税支払い組だ。
誰もが憧れるほどの才能に恵まれ、血の滲む不断の努力で超有名アスリートになった彼だが、その割にはまるで無警戒に不倫現場を盗撮された(らしい)。
恐らくは、自分がゴシップ雑誌の標的になっているなど思いもよらず、天真爛漫に浮気三昧だったのだろう。
しかし、東京オリンピックの、しかも金メダル有力候補と期待されるオトコのスキャンダルなら、人々の好奇心を煽る。
哀れ瀬戸大也は、東京オリンピック選手資格を剥奪されるかもしれないらしい。
同じことを当方が仕出かすと、嫁は激怒するだろうが、世間的には誰も興味がない。
隣近所で陰口を叩かれ、恥ずかしい思いはしても、瀬戸大也のように満天下に恥を晒されることはない。
凡人であることは、何と幸せなことだろう。
たまたま他人を遥かに凌駕する美貌に生まれた人や、才能に溢れた人は、人に羨まれるほどスポットライトを浴びる有名人になることができるし、カネも稼ぐことができる。
しかしその結果、衆人環視の下で、些細な行いも揚げ足を取られ、何かと悪口を言われるので、窮屈な人生を送らざるを得なくなる。
経験したことはないが、そのストレスたるや、大変な重圧だろう。
一方、ノッペリ顔や平凡な才能しかない人は、何か得をするチャンスは少ないが、他人から注目されることもない。
しかしその分、元々期待もされていないのだから、気楽なものだ。
少々ヘマを仕出かしてバッシングされても、喉元過ぎればすぐ忘れ去られる。
人間は、トータルでチャラになるものだ。