昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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真面目に日本の野党批判

日本の野党の劣化が止まらない。

 

実は野党だけでなく、与党・自民党も深刻な人材難だ。

そのために、ろくでもない政治家が、派閥の論功行賞で大臣に選ばれ、その度に問題を引き起こし、政治への信頼を落としてきた。

自民党の場合、小泉純一郎ブームや安倍晋三の人気にあやかって当選した若手連中の中に、質が悪い政治家がいて「魔の三回生議員」とか言われた。

また幹事長特権で、ひたすら自派拡大を目指した二階俊博の派閥も、粗製乱造のカス議員が多く、トラブルメーカーの大半は二階派議員だった。

 

そもそも自民党には、二世議員が多い。

これは政治家と支援者が、領主と家来の関係で、領主を頂点した選挙区が、利益共同体としてヒエラルヒー化しているからだ。

株式会社とは違って、オーナー企業に近いと思った方が良い、

利権団体のトップ交代の時、それまでの領主とまるで氏素性が違う人間を、実力本位で跡目に選ぶと、それが原因のお家騒動に発展しかねない。

それだけで、せっかく作り上げた組織が、不安定になる恐れがある。

その点世襲なら、トップへの忠誠心も維持され易く、一番スンナリと権力移行が進む。

政治家に世襲議員が増えるのは、切実で必然的理由があるのだ。

 

問題は、オーナー会社も同じだが、代を重ねるごとにトップの資質が落ちることだ。

勿論、世襲議員の中には、出藍の誉れで、先代を凌駕するような逸材もいるにはいる。

しかしそれは例外に近く、やはり先代に比べると、判断力、決断力、実行力の全てで見劣りがする、頼りない跡継ぎが圧倒的に多い。

しかしそれでも、生まれながらに地盤看板鞄の三バンを持つ世襲議員は、少々出来が悪くても当選確率が高い。

また支援者から見ても、余りに秀逸な後継者だと「改革だ」などと口走り、それまでの既得権益を壊す可能性もあるので、言うことを黙って聞いてくれるのなら、むしろ凡庸な跡継ぎの方が良いくらいだ。

そんな腐れ縁で日本では、どんどん家業としての政治家が増えている。

その結果、自民党に見るべき人材が減っているのは、政治の大問題だ。

 

しかしそんな自民党だが、野党に比べるとまだマシだ。

確かに人材は不足しているが、それでも戦後、ホンの一時期を除いて政権を担ってきたのだから、自民党には少数とはいえ、政策に長けた政治家がいる。

しかし野党は、全く政権担当能力を持った政治家はいない。

皆無なのだ!

野党がこんな体たらくなのは、55年体制時代の日本社会党の腐敗、怠慢がに原因だ。

当時の社会党は、完全に自民党との馴れ合い体質で、一応は反対ポーズをとるが、最後は自民党に押し切られる形で野党としての体裁を整え、政党生命を長らえてきた。

だから、まともな政策論議や対案作成など考えもしない。

一般受けするパフォーマンスさえすれば、選挙ではある程度の議席数が確保できる。

 

そんな昔の野党の悪しき伝統を、今の野党は見事なほど引き継いでいる。

またに二世議員の多い自民党に比べて、野党は官僚からの転身組が多い。

国家公務員試験を経ているので、偏差値だけは高いはずだが、残念ながら与党の一本釣りの対象から外れた連中だ。

本音は与党志向でも、そこから声が掛からず、やむなく野党から出馬せざるを得なかった出来損ない公務員なので、世間知らずの偏差値バカばかりだ。

 

こんな、アタマでっかちだけど足腰がふらつく連中ばかりなので、夢の政権交代を実現した途端に、政権運営に失敗して信用失墜した。

その与党失敗の反省もなく、野党に転落した後は離合集散の看板書き換えだけで人気回復を狙う不真面目さでは、建設的対案型野党など期待できるはずがない。

 

どこを探しても、真面な野党も野党議員が見当たらないのは、実質的に与野党間に、悪夢の55年体制が復活しているのと同じことだ。

日本の民主主義が健全に成長しないのは、無論自民党にも責任の一端はあるが、その大半は野党のだらしなさにある。

菅義偉政権誕生後、第一回目の支持率調査では菅政権は70%以上の支持率となった。

一方の新生立憲民主党は4.5%、国民民主党は0.5%にも満たない。

仮に菅政権の支持率が落ちても、野党支持率は上がらない。

これが、今の野党の実力だ。

 

ひたすら政権の揚げ足取りに終始し、国防も経済も全く関心を示さない野党に、国民の支持と信頼が高まるはずがない。

そんな簡単なことにも気が付かず、立憲民主党日本共産党は、飽きもせずに日本学術会議の会員任命拒否を政治問題化しようと画策する。

これでは民主主義における野党の役割を、全く理解していないと断定せざるを得ない。

穿って見れば、与党にイチャモンをつけることこそ自分たちに課された使命と勘違いすることで、昔の日本社会党のように、より楽な道を選択しているのではないだろうか。

 

しかしそれは、日本の政治、ひいては日本国民にとっては大変な悲劇なのだが。