昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露!無礼千万なコメントは削除。

陽と陰は良いが表と裏はダメ???

JALは機内放送で「Ladies & Gentlemen」と呼びかけるのを止めたらしい。

 

6年前まではフツーの企業戦士で、国内はおろか海外まで飛び回るサラリーマン(今や死語?)生活だったので、飛行機はよく利用した。

世界中の航空会社が、全く違和感なくこの呼びかけを使っていたし、海外のセレモニーでも必ず冒頭に使われる言葉なので、中止となると「何で?」と疑問を持つ。

その昔、芸人のトニー・谷はツカミの台詞を「Ladies & Gentlemen オトッツアン & オッカサン」で始めていたが、今ならこれもまた使用禁止になる。

 

理由として男性側から「常にLadiesが先に言われるのは、男女差別だ」と、文句が付いたわけではないだろう。

恐らくは、トランスジェンダーへの配慮だと思われる。

しかし彼らが本当に「Ladies & Gentlemen」の言葉に疎外感を持っているのだろうか?

そして「我々の存在を無視している言葉の使用はやめろ」と思っているのだろうか?

そもそも「Ladies & Gentlemen」はトランスジェンダーを差別した言葉なのだろうか?

 

どう考えても「Ladies & Gentlemen」に差別感があるとか、少数派を排除しているとかは、深読みと言うよりイチャモンだろう。

しかし今は、多数派が少数派へ理解を示すことが社会正義の見解が主流だ。

そこでJALもまた、自ら少数派に忖度することを決めたのだろう。

しかし本来問題視するべき点は、多数派が少数派を、少数派だからとの理由で差別することなのだ。

差別さえなければ、例え少数派でも、心地良い生活を送ることができる。

では「Ladies & Gentlemen」は差別用語かと言えば、決してそうではない。

 

ここで問題になるのは、「では無関心はどうか?」だ。

 

これには両論あって、「無関心は差別主義者と一緒だ」との意見がある。

要は、自分は差別しているとの自覚を持ち、常に差別された側の苦しみを理解し、常に被害者に寄り添い、差別反対活動をしない限り許されないとの見解だ。

キリスト教の原罪と同じ考えだ。

 

勿論、逆の見方もある。

少数派が少数なのは物理的に仕方がないが、むしろ少数派でも何の不自由もなく、まるで空気のように社会に溶け込む姿が理想なのだ。

やたらと大声で差別反対を唱えるから、却って目立ち、違和感を持たれるので、トラブルさえなければいつの間にか差別など消滅するとの意見だ。

 

当方は後者!

差別されていると称する連中に、余計な同情や詮索やお節介はやめる。

少数派でも、ごく普通に生活している方が、差別などに遭遇することは少なくなる。

 

そう考えると、言葉狩りはむしろ逆効果だ。

 

僕の幼少期には、普通に日本地図に「表日本」と「裏日本」の表記が使われていた。

だが今では、この言葉が使用されることはない。

いつからか、「太平洋側」と「日本海側」に変わっている。

日本海側の住民が「何故、我々が裏側なのか?」と文句を言ったのかどうかは知らないが、この背景には「表が正当で裏は補完」との差別意識があるに違いない。

だから長年に亘って使われてきた「表日本」「裏日本」を使うことを憚る風潮になる。

しかしこれは、裏への差別心理、即ち「裏差別主義者」を告白しているようなものだ。

 

似たような言葉に「陽」と「陰」がある。

どう考えても、陽の当たる「陽」に対し、その陰に隠れる「陰」では印象が違う。

山陰地方の住人から、「我々は日陰の身ではない」と文句がついてもよさそうだが、しかしこちらは、依然として山陽本線山陰本線として、JR路線に使われている。

表と裏はダメだけど、陽と陰はOKの基準は、一体だれが決めたのだろうか?

 

実は、言葉をあれこれ使わなくしても、絶対に差別そのものは消えない。

確かに自衛本能から、人間は知らないものに身構える習性がある。

それは、見知らぬモノや少数派を警戒し、排除し、差別につながりかねない性質だ。

しかしそんな存在が、まるで自然なモノになれば、誰も差別したりはしない。

だからこそ、「自分は少数派だ」と声高に叫ぶよりも、自然に生活した方が良い。

 

宗教上の理由で、LGBTを迫害する西洋社会やイスラム圏とは違い、少なくとも日本は、知らないモノを警戒はしても、それが無害と分かれば差別はしない。