昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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学者はなぜサヨクになるのか?  

ヒダリ巻きの学者は多い。

 

今回の日本学術会議問題でも、5年前の安全保証法案反対運動でも、著名な学者が日本共産党と一緒に抗議活動をしている。

素人集は「あんな偉い先生たちが政府に反対しているとは、政府のやり方がおかしいのでは」と思ってしまう。

情弱層への影響力と言う点では、学者先生たちの働きは決して侮れないし、共産党はそれを狙って学者を前面に押し出す。

 

偉大な発見をした学者の中に、何故ヒダリ巻きの行動をとる輩が出てくるのか?

実は、特に自然科学を生業とする学者と共産主義は、極めて相性が良いのだ。

その証拠に、ノーベル賞を貰うほどの業績を上げた学者の中に、共産党員や共産党シンパが結構存在している。

最近では、2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川俊英がその典型例だ。

 

共産党もまた、そんな単純バカ学者をうまく利用して、党勢拡大につなげてきた。

たまに共産党の機関紙アカハタに登場する学者が話題になるが、彼らは隠れ共産党員の芸能人同様、大衆の目晦まし要員で、共産党の秘密兵器として機能している。

日本で初めてノーベル物理学賞を受賞し、日本人を熱狂させた湯川秀樹もまた、アカハタにたびたび登場していた。

益川俊英同様に、湯川も共産主義共産党への理解者と見做されている。

 

このような科学者が、共産主義に理解を示すのは決して偶然ではない。

それは共産主義が、学者にとって極めて都合の良い、あるいは「我が意を得たり」と感じさせる思想だからだ。

 

共産主義の始祖、マルクスの思想は、唯物論弁証法と言われ、ヘーゲルの観念的弁証法を批判することから始まっている。

ヘーゲル批判は、マルクス主義の一丁目一番地だ。

弁証法は、テーゼとアンチテーゼをぶつけ、アウフヘーベンすることで、新たな真テーゼが誕生すると考える哲学だ。

この考え方は、別に政治の世界だけでなく、日常活動のあらゆる場面で使われている。

ただ、目の前の問題解決のために必死に知恵を絞っていると思っている一般庶民は、自分が知らず知らずのうちに弁証法を利用しているなどは思いもよらないだけだ。

 

しかしトコトン、テーゼをぶつけ合っても尚、真実が見つからない時、あるいはどうしようもなく行き詰った時、ヘーゲルは究極の解決として神を据える。

例えば、「地球の始まりは?」の問いかけへの答えに、「ビッグバンがあって、衛星が衝突して」などの答えまでは見つかっても、「ではその衛星はどうやってできたのか?」などと突き詰めると、どうにも解明できない部分が出てくる。

ヘーゲルはそれを「これから先は、神の思し召し」の領域と考える。

 

一方のマルクスは、全て科学で解明でき、科学こそ真実解明の最終手段を位置づける。

今の科学では説明できなくても、更に科学が進めば必ず解明できると考えるのだ。

問題の解決を安易に神に委ねるのは、科学の発展を阻害するもので、これが更に進むと、宗教はアヘンだとの思想になる。

このマルクスの科学万能主義は、科学者には自分たちの研究のモチベーションとなる。

だから科学者たちの多くは、マルクス主義共産主義にシンパシーを抱くのだ。

 

しかし共産主義は、とっくに世界中で破綻した。

いくら理想的言辞を弄しても、共産主義の犠牲者が世界大戦の死者をはるかに上回る事実の前には、説得力はない。

共産主義が成功しなかったのは、幼稚な理想主義に加え、神の存在を否定するマルクスの傲岸不遜な思想が原因だ。

自らは絶対無謬で科学万能を信じていると、解決できないことまで無理やり決着とつけってしまうが、それは往々にして間違っている。

共産主義者はそれでも、自分たちは正しく、間違いは認めない。

今回プライムニュースに出演した日本学術会議会員の発言を聞くと、自分たちは学術に優れた特別な存在で、首相如きに評価できるモノではないとの思い上がりがあった。

やはり共産主義と学者は、相溶性が高い。

 

共産主義は必ず、幹部の腐敗堕落と独裁をもたらしたが、皮肉なことにマルクスが唱えた人類平等の思想は、資本主義の最大矛盾の一つ、格差是正には役立った。

何とそれは、打倒の対象だった資本主義の矛盾を解決し、延命させる結果になった。

共産主義は、特に若年層には化石に匹敵する観念論としか映らず、世界中に災厄を残しただけで、急速に魅力をなくし衰退した。

今では、共産主義が人類を救う思想などの妄想を信じている人は、ごく少数の年寄り共産党員以外にはいない。

 

ところが世間知らずの学者は、依然として科学万能の考えを捨てきれず、共産党を手助けすることが人類に役立つと勘違いしている。

そんな頓珍漢が、組織の中心部分に巣食っているのが、日本学術会議の実態だ。

今回の会員任命問題への、学者連中の反論を聞くと、如何に彼らの思想がヒダリ巻きに偏っているか、あるいは如何に彼らが世間知らずなのかが一目瞭然に分かる。

だから我々は、努々専門バカの学者風情に惑わされてはいけない。

彼らは、一部に天才的な才能を持つが、全体としては「アンバランスが取れた歪な人格」の持ち主でしかないのだ。