退屈講座第11弾
講座 共産主義体制下で宗教は許されるか
副題 マスクス主義は科学か宗教か
昔から、「マルクス主義は科学か宗教か」の議論がある。
ほとんどのマルクス主義者は、マルクス主義を科学だと信じている。
何せ、マルクス自身が「宗教はアヘンだ」と断定しているくらいだから、宗教と見られるなんて、とんでもなく屈辱と思うのだろう。
この言葉で、マルクス主義と宗教は、お互いが絶対に相いれない存在と見る人が多い。
しかし世の中には、キリスト教徒でマルク主義者は極めて多い。
そこから、究極のところマルクス主義は宗教だとの意見もある。
何故ならマルクス自身が、マルクス主義を思想として完成させる際に、キリスト教に強く影響されたことが明らかだからだ。
聖書と資本論、教会と共産党、原罪と階級闘争、枢機卿や法王と共産党幹部や書記長。
キリスト教とマルクス主義は、その思想も組織も、双生児のようなものだ。
これは、至って当然のことだ。
日本人は、知らず知らずに神道の思想に影響されている。
同様に西洋人は、生れた直後からキリスト教文化にどっぷりと浸り、繰り返しキリスト教の価値観を刷り込まれる。
だから、全ての発想そのものが、キリスト教の教えと無縁ではあり得ない。
しかしマルクスが、宗教をアヘンと断定した以上、共産主義者が宗教を擁護するのはかなりの詭弁が必要になる。
日本共産党の公式見解は、
・格差社会の資本主義では国民の不安感が充満する
・その不安感を解消するのが宗教の役割
・これが科学的社会主義の宗教観
・宗教を否定するのではなく、宗教に縋る人たちと連帯してよりよい社会を作る
・共産過ぎ社会が実現すれば国民の社会的不安感は消滅する
・しかし人間の健康や寿命、人間関係等の精神的悩みは残る
・だから共産主義と宗教は共存が可能
となっている。
しかしこれでは、宗教をアヘンとまで定義したマルクス思想との整合性はとれない。
同時に「存在が意識を決定する」はずの唯物恩弁証法の考えからは、社会的不安が消滅しても、精神的不安感が残るのは矛盾だ。
更に、神の存在を否定し、科学が発展すれば、全ての社会矛盾は解決される科学万能主義のはずなのに、神を称え、神に縋る宗教の存在を許すのも、マルクスの考えからは逸脱している。
そもそも共産主義は、神の領域を否定し、科学で解明できるとするのだから、共産党の言う、共産主義と宗教と共存が可能との主張は苦しい。
それでも、宗教と共産主義が共存すると強弁するのは、共産主義破綻の表れだ。
敢えて好意的に見れば、共産党はマルクスの原理原則にとらわれることなく、共産主義を現代風に解釈して、日本共産党風にアレンジしていると言うかもしれない。
しかしそれでも、
・世界中の共産主義が破綻したこと
・世界中には、国の数ほど共産主義が存在していること
・各々が、自分だけが正しく他国は亜流と主張いていること
で、共産主義の行き詰まっているのが現実だ。
最近の風潮を見れば、共産主義の矛盾が露呈している。
資本主義に由来する社会矛盾のせいで、精神的に不安を持つ人たちが増えていることは間違いない。
しかし、そんな人たちは、共産主義に救いを求めることはない。
大半が宗教に縋っている。
世界中では、ムスリムが爆発的に増加している。
何故なら、イスラム教は入信するのに面倒な手続きや、面倒な勉強は不要だからだ。
共産主義は、資本主義だけでなく、宗教にも敗北した。