社会党は、古くは朝鮮総連と共に、在日朝鮮人の北朝鮮帰国運動の推進団体だった。
この帰国運動、帰還運動は、朝日新聞や当時のサヨクと共に、北朝鮮を「地上の楽園」と礼賛し、93千人以上の朝鮮人、日本人を北朝鮮に送り出した。
しかしその北朝鮮に渡った朝鮮人は、極度の貧困生活を強いられ、北朝鮮の身分制度では最下層の成分に位置付けられ、とんでもない人権蹂躙を受けたことも後に判明した。
社会党が仕出かしたことは、それだけではない。
社会党は、北朝鮮の日本人拉致問題も、横田さん夫婦からの要請も握りつぶし、その後も「拉致などありえない」と、北朝鮮を擁護し続けた。
拉致被害者の活動を、北朝鮮に密告していたことも指摘されている。
国内の政治では、55年体制下で自民党の補完勢力として機能した。
野党としては、実は国会対策で与党とは裏工作の打ち合わせ済みで、一応の反対意思を表明し、抵抗した格好だけはつけるアリバイ工作に終始した。
社会党はそんな茶番劇を、結党以来50年以上も続け、社民党に衣替えした。
しかし所詮は少数派の悲哀で、政権の権力者、小沢一郎との対立から政権を離脱する。
元の木阿弥の野党生活に戻ったが、運命のいたずらか、野党に下っていた自民党と野合して自社さ政権として、再び政権与党に返り咲いた。
自民党がこの時に、社会党を篭絡するために考え出したのが、時の社会党代表、村山富市を首相に担ぐことだ。
万年野党の代名詞だった旧社会党から首相を出すなど、一体誰が予想できただろうか。
尤も、好事魔多し!
止めは、自民党との連立政権で総理大臣になったものだから、それまでの空理空論を言えなくなってしまったことだ。
自衛隊の存在を認めた途端、それまでの主張との整合性が取れなくなってしまった。
その結果、岩盤だった支持層が離反し、今日の社民党壊滅の原因となってしまった。
福島瑞穂が、そんな社会党が名前だけ変えた社民党の代表になったのは2003年。
その後の社民党は、選挙のたびに議員数を減らし続け、直近では議席数わずか4人の超零細政党と化していた。
そんな小世帯の社民党なのに、立憲民主党との合流を巡って更に分裂することになり、社民党に残るのは福島瑞穂一人、残りの三人は立憲民主党と合流するらしい。
その最後の党大会で、沖縄の照屋寛徳衆議院議員は、福島が代表就任以降の10年間で、浅沼稲次郎、土井たか子、村山富市が築いた財産の全てを食いつぶしたと、文字通り面罵したらしい。
社民党衰退の原因は、福島瑞穂の人品骨柄の欠如と指導力不足と言うのだから、これはただ事ではない。
元々目が点のように小さい福島だが、この時はその小さな目をつぶって聞いていたらしいが、「全部自分の所為と言われるのは大変心外だ」と反論したらしい。
客観的に見て、照屋の指摘は半分正しく、半分は間違っている。
間違いの半分は、そもそも名の挙がった先輩三人が築いた財産などなかったことだ。
照屋は、社民党には誇るべき財産があったはずと勘違いしているが、社会党、社民党には、そんな財産など、元より何一つなかった。
むしろ福島は、負の遺産の相続を余儀なくされた、哀れな代表なのだ。
正しい部分は、福島が無能だったことで、これは誰しもが同じ思いだあろう。
韓国や中国にだけ寄り添う福島には、反日以外の思想的アイデンティティはない。
だから他の政党や意見の異なる人と論争すると、惨めなほど破綻した論理を展開する。
そんな福島が組織のトップなのだから、社民党の党勢が回復、上昇するはずはない。
照屋に聞きたいが、そんな福島を代表に選んだのは、社民党の党員ではないか。
どんなに福島が無能な代表だとしても、社民党にはそんなヤツしかいなかったのだ。
全ては身から出た錆!
社民党はとっくに、その存在すら不要なお邪魔虫政党でしかなかった。